デル太とわたし⑦│デルタ新車当時を知り尽くす重要人物のインプレッション!

Photography: Kazumi OGATA

車好きの人々にとって、ガレーヂ伊太利屋といえば日本においてイタリア車の文化を根付かせた存在といっても過言ではないだろう。

ガレーヂ伊太利屋が創業した1976年は、日本で初めてF1グランプリが開催された年であった。今は亡き2人の伝説、ジェームズ・ハントとニキ・ラウダが白熱の戦いを富士スピードウェイで繰り広げていた年だ。(優勝はロータスを操ったマリオ・アンドレッティ)。さらに言えば、1970年代後半はいわば「スーパーカーブーム」ということもあり、車への少年心が一気に加速した人々も多かったのではないだろうか。

そんな時代に、デ・トマゾやミニなどの輸入販売を先駆けてはじめ、マセラティやランチア、ランボルギーニの正規輸入元としても日本へ夢を届けていたのが、ガレーヂ伊太利屋であった。当時は世田谷区の等々力にショールームをかまえ、1995年にガレーヂ伊太利屋から特別オーダーされたコレツィオーネ含めランチア・デルタを筆頭に、マセラティ・ビトゥルボやランボルギーニ・ディアブロなども正規で取り扱い、遊び心溢れる車好きを喜ばせてきたのだ。



4WDが製造開始された1986年当時、日本でデルタを輸入していたのはもちろんガレーヂ伊太利屋のみ。ラリーカーとして活躍していたこともあり、日本中でとてつもない人気を博していた。続々と入ってくる注文と、イタリアメーカーならではのマイペースさで、納車の時には新しいモデルが出ているということも少なくなかったそうだ。中には内装が仕上がっていない状態のデルタなどもあったそうだが、それはもはやご愛嬌といったところ。みしみし音を立てながら走るのもかわいらしく感じてしまうほどだ。イタリア車には、酸いも甘いも色々な楽しさがあると思う。

今、日本でデルタ4WDを乗っている人は備わっていたエアコンのおかげで、そこそこ快適なカーライフを送っている人もいるだろう。ずばり、それはガレーヂ伊太利屋のおかげ。イタリアからはるばる大黒ふ頭までやって来たデルタすべてにエアコンを装着したそうで、エアコン付きは"日本仕様"ともいえる。そして、私もデルタに付いたエアコンにあやかっている人間のうちのひとりである。

オクタン日本版編集部

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