ランボルギーニ・イオタに影響された一人の想いからはじまった大きな波

Shinichi EKKO

一人のカーエンスージアストの想いから、大きな“波”が生まれることがある。

赤間保氏(53歳)はスーパーカー世代に生まれ、自動車に対する限りない愛情と共にこれまでの人生を歩んできた。程なくして彼が必死の思いで手に入れた最初の一台、ランボルギーニ・カウンタック25thアニバーサリーを筆頭にそのコレクションは増えていった。時には思い入れのあるモデルを手に入れるため、ヨーロッパを何千キロもドライブしたこともあったという。気付いてみると、カウンタックLP400S、そしてウラッコP250Sを筆頭に10台を超えるスーパーカーが彼のガレージにあったのだ。 しかし、あるとき赤間はその思いが、次の世代にどのように受け継がれていくのか、考えるようになった。

当然ともいえようか、家族たちもそれらスーパーカーに何ら関心を示すことはない。”お父さんの遊び“、としか考えない。赤間には若くして亡くなった兄弟がいたが、他人にあえて話すことでもないと心の中で封印していた。しかし、ある日ランボルギーニ・イオタのヒストリーを伝える文章を読んだとき、彼は存在しない兄弟のことを思い、心を揺り動かされた。

それは、こういうことだ。ランボルギーニ・イオタとは、レース活動を行わなかった創成期のランボルギーニ社において突然変異的に作られたレースプロトタイプカーである。レースに情熱を燃やすエンジニアであり、チーフテストドライバーでもある、ボブ・ウォレスがランボルギーニ創始者であるフェルッチョ・ランボルギーニを説き伏せ、就業時間外にランボルギーニ・ミウラのジャンクパーツを活用して作り上げた。見た目はミウラに似ているが、中身はレースカーそのもので、1台のみが存在した。



ボブが必死の思いで完成させたイオタであったが、ランボルギーニ社の経営難の中でレース参戦が叶うことはなく、結局顧客へと販売されることになる。さらに残念なことに、その1台しか存在しないイオタは事故により大破してしまったのだ。ここからが、赤間氏が心を揺さぶられるところだ。そう、ランボルギーニはそのイオタに搭載されていたスペシャルチューンのエンジンをイオタより取り出し、存在するミウラSVへと搭載した。ここにイオタの“魂”を譲り受けたミウラSVが誕生したわけだ。

赤間氏は、このイオタの魂たるエンジンがミウラSVRへと受け継がれて、その中で生き続けること、そこに彼の亡くなった兄弟への想いをオーバーラップさせたのだった。“そんな風に彼の存在が生き続けてくれたら、いいな”、と…。そして、そんな物語を子供たちが読んでくれたらスーパーカーに夢中になった自分たちの気持ちもわかってくれるのではないか、とも考えた。

「そうだ、それを絵本にしよう。イオタのフロントは“エラ”が張っており、なんだが、アヒルみたいじゃないか。そう、“アヒルのジェイ(イオタはイタリア語のアルファベットのジェィに相当する)”だ」


文:越湖信一 Words: Shinichi EKKO

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