伝統を継承する6.75リッター│すべてをクルーが手掛けるフラッグシップ、ミュルザンヌ

Photography:Ryota SATO

伝統のエンジンを積んだ、フラッグシップサルーンのミュルザンヌ。その名前にはル・マン24時間レースへの思いが込められている。

現行ベントレーのフラッグシップサルーンたるミュルザンヌは、ル・マン24時間レースが行われるサルト・サーキットのコーナーにちなんで名付けられたことはご存知の通り。ただし、昔からなぜか英国人は、6kmにもおよぶあの有名なストレート区間をミュルザンヌ・ストレートと呼び、そのせいか、かつては日本でもそちらの方が通りが良かったが、今では直線部はユノディエールとして知られている。ミュルザンヌはそのストレートエンドの右コーナーの名前であり、そもそもは村の名前、ミュルザンヌの前身モデルに当たるアルナージも同様である。


 
ベントレーがル・マンにそれほど深い思い入れを抱くのは、言うまでもなく、ル・マンでの活躍によってその名声を不動のものとした歴史があるからだ。今年創立100周年を迎えたベントレーは、1919年の創立からロールス・ロイスに吸収される1931年までのわずか10年ちょっとの間に、ル・マン24時間耐久レースで5度の総合優勝(1924年、1927~30年までは4連勝)を成し遂げ、その名を世界に轟かせた。黎明期のル・マンで平均100km/h 以上で24時間走り続けることなど当時としては驚異的である。大正から昭和にかけて日本でも後に日産自動車につながる改進社の脱兎号をはじめ、いくつか国産車が誕生したが、高性能かつ高品質のベントレーは昭和の初めの日本から見れば宇宙戦艦のようなものだった。

それゆえ、団塊の世代が1960年代に大活躍したフェラーリやポルシェ、ロータスなどに惹かれるのと同様、それ以前に生まれた男の子たちにとってベントレーは圧倒的なヒーローだったのである。ベントレーといえば今では2003年にデビューして人気を博したコンチネンタルGTシリーズを思い浮かべるだろうが、自動車界において今なお特別な畏敬の対象となるのは、クリックルウッド・ベントレーと呼ばれる短い草創期に生み出された頑健な高性能車ゆえである。20 世紀の末にBMWとの綱引きを繰り広げたVW が結果的にベントレーを選んだのは、当時のグループ総帥フェルディナンド・ピエヒが、そういう時代の男だったからに違いない。


 
そういえば、1990 年代末に一時アルナージ(ミュルザンヌの先代モデルに当たる)の新しいパワーユニットとして積まれていたBMW製4.4リッター V8ツインターボを評して、小林彰太郎さん(カーグラフィック初代編集長)が「ベントレーにしては線が細すぎますね」とにべもなく言っていたことを思い出す。事実、間もなくV8ツインターボOHV が復活することになったが、その変更はフェルディナンド・ピエヒその人の鶴の一声で決まったと言われていた。ベントレーの心臓として必要なのは滑らかで洗練されたマナーよりも、剛毅果断なレスポンスだということを誰よりも理解していたのである。
 
今やミュルザンヌだけに積まれている6.75リッター(本当は6 3 /4リッター、シックス・スリークォーターと呼びたい)のV8ツインターボだが、ユーロ6をクリアしてここまで生き延びているだけで価値がある。何しろこのLシリーズユニットは、遡れば1950 年代末からの長い長い歴史を持つエンジンである。今では可変バルブタイミングや気筒休止システムも備わり、燃費も昔に比べれば別物のように向上しているが、それでも重々しい大きな機械が精密に運動している息吹を感じさせる名機である。


 
年産1万台を超えるほどに拡大した現在のベントレーにあっても、ほとんどハンドビルドで作られるミュルザンヌは1000台に満たない。ミュルザンヌを一台仕上げるのに要するマンアワーはおよそ400時間(うち150時間はレザーインテリアの製作に費やされる)と言われるが、これは一般的な小型量産車の20倍ほどに当たるはずだ。2009年にミュルザンヌがデビューする直前まで生産されていた2ドアクーペのブルックランズの製造時間は確か660時間だったから、ずいぶんと効率的になったともいえるが、世間一般の自動車とは基本から異なる。ミュルザンヌは今も威風堂々と走る"工芸品"なのである。

文:高平高輝 写真:佐藤亮太 Words:Koki TAKAHIRA 

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