ベントレー神話の主人公が紡ぐもうひとつの神話

Images: Bentley Motors

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 1930年3月、ウルフ・バーナートは当時、陸上において最も豪華で速い乗り物だったブルートレインに自らのベントレーで勝利している。ルマンに3度挑み、3回とも優勝、しかも勝ち方が素晴らしい。そんなバーナートの真の偉業とは、後々のベントレーを方向づけることになる、ブルートレインとの競争に勝ったことではないかと思っている。
 
 このブルートレイン対ベントレーの話は、日本版OCTANE19号のAUTOMOBILIA第11回「ダンヒル」に詳しく書いたので、ここでは要点のみ。
 
 概要は、1930年3月、カンヌをブルートレインとバーナートの駆るベントレーが同時刻に発ち、ブルートレインがカレーに到着するよりも前にベントレーでロンドンに着く、という勝負。人々の記憶に映像を刷りこんだのは、想像で描かれた絵画だった。ブルートレイン対ベントレーを題材にした絵は何点か残されている。それらに共通しているのは、ベントレー・スピードシックスのガーニーナッティングクーペがブルートレインと並走している絵柄であること。そこには少なくともふたつの大きな誤りがある。まず、ブルートレインとベントレーが並走した事実はなさそうな点がひとつ。そして決定的なのは、バーナートが勝負に用いた車両はファストバックの流麗なガーニーナッティングクーペではなく、マリナーボディを纏った4ドアサルーンだったことである。
 
 マリナー製のベントレー・スピードシックスフォーマルサルーンでブルートレインを破ったバーナートは、スポーツマンであると同時にベントレーの会長という要職も務めていた。ベントレーがロールスロイス(以下RR)と合併するのは1931年のこと。そうした将来を見据え、ブルートレインに勝ったのはRRとイメージの被るマリナー製の4ドアサルーンではなく、絵になるガーニーナッティングクーペとしたところにバーナートの慧眼が光る。
 
 RRと一体となった戦後のベントレーは、民間信仰の如く浸透したガーニーナッティングクーペの威光をうまく商品に摂りいれている。鉄道を想起させる頭文字にブルートレインとの勝負の主戦場となった欧州大陸を組み合わせたかの如き名をもつRタイプコンチネンタルで、まずブランド価値をたかめ、コンチネンタルR を中継ぎに、コンチネンタルGTで実商売に繋げている。



1998年だったか、ロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)を訪問した際、フォルクスワーゲンから複数のデザイナーが派遣され、ベントレーに相応しいクーペの先行デザインに取り組んでいた。彼らの机上にはガーニーナッティングクーペとRタイプコンチネンタルの写真が置かれていたように思う。

 
 ガーニーナッティングクーペを現在所有する米国人が、同車はブルートレインとの競争時に存在しておらず、車両の完成が1930年5月だったことを突き止める。その米国人が、バーナートの実際に使用したベントレーはマリナー製の4ドアサルーンだった事実を強く訴えたのは、2005年頃だったと記憶する。



2003年にパリで行なわれたコンクールデレガンス「ルイ・ヴィトンクラシック」にガーニーナッティングクーペは出展されており、その時はまだ、ブルートレインに勝ったクルマだと信じる人が多かった。当時の上司がコンクールの審査員を務め、わたしもその補佐として会場をまわっていたので覚えている。


 
 米国人の告発をフォルクスワーゲン傘下のベントレーが追認、ブルートレインに勝利したのはマリナー製の4ドアサルーンである、と認知されるようになった。
 
するとその後、4ドアのアルナージやミュルサンヌにマリナーの名とともにブルートレインスペシャルというモデルを、しれっと追加するあたり、やはりベントレーはどこまでもしたたかである。


文:板谷熊太郎    Words: Kumataro ITAYA

文:板谷熊太郎 写真:ベントレー モーターズ Words: Kumataro ITAYA Images: Bentley Motors

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