ベントレーを所有するということ 〜実体験による購入の際の注意点〜

Octane Japan


 
そのRタイプ・コンティネンタルを私が6年を過ごした英国からふとしたことで持ち帰ることになったのは1984年、すでに"3昔半"も前のことであった。その当時の英国では、「ベントレーやロールス・ロイスは買えるカネがあれば買ってよいというものではなかった」、という話を聞いていただきたい。
 
スタンレー・セジウイックさんは、車好きならきっと誰でもが憧れるモータリスト人生を体現された英国のエンスージアストである。車に関してはアマチュアを貫き、しかしベントレードライバーズクラブ会長、同スポンサー、RACの競技コミッティなどの重責を歴任され、著書、寄稿も多い。ドイツ車やアメリカ車を含め、その趣味は広かったけれど、彼が最も愛したのは何と言ってもベントレー、それもRタイプ・コンティネンタルだった。
 
その広い人脈で、発表早々の 4号車をアメリカズカップやル・マンへの挑戦で有名な米国の資産家でBDCメンバーでもあったブリッグス・カニンガムから借り出して試乗するやすっかり夢中になり、プロトタイプのOlgaを入手した。Olgaとは208台作られたRタイプのなかで最も有名になった車で、愛称はそのレジストレーション「OLG490」に因む。

そのセジウイックさんは1978年にRタイプ・コンティネンタルについての、すべてを誕生ストーリーから解説、208台すべてについてをトレースしてまとめた小さいが重要な小冊子を刊行する。それによれば当時世界中に散らばっていたRタイプ・コンティネンタルのうちの1台が日本にあったとのことだが、詳細は不明だ。私は帰国後、Rタイプ・コンティネンタル所有の先輩を探したけれど、ついに見つけることはできなかった。現在はもちろん数台が日本に生息している。




ベントレーRタイプ・コンチネンタルの当時のカタログ。全12ページのシンプルなものだが、その魅力を余すところなく紹介している。
 
私の車は後日、カーグラフィック誌に取材していただいたが、CG編集長であられた小林彰太郎さんが、来日したロールス・ロイスの役員に「あなたもロールス・ロイスに乗っているのかと尋ねたところ、チップが安くて済むのでベントレーに乗っていると答えた」と書かれていたが、それとまったく同じことを私がその取材で答えている。
 
つまり当時は、クラスによって乗る車がおおよそ決まっていたから、そのクラスにふさわしいチップを出すのは当然だったのだ。具体的には硬貨では済まず、常に紙幣でチップを渡していた。カネさえあれば誰でも平等に乗れるようになったことは目出度いのか目出度くないのか、せめてその車にふさわしい所作を心がけてほしいと思う。
 
かつて英国には、「ロールス・ロイスは自分で運転するものではない、ベントレーは他人に運転してもらうものではない」という不文律があり、これはオーナーたちのみならずほとんど社会常識であった。しかしながら、戦後にショーファードリブンで車を使う層が減り、また戦後復興のために販売ターゲットとした新大陸には、もとよりそのようなマナーは存在しなかったから、ロールス・ロイスもオーナードライバー向けの商品として、伝統を破ってシャシーではなく自社工場製の既製ボディをまとった「スタンダード・スティール・サルーン」の「シルバー・ドーン」を発売しなくてはならなくなった。

もはや21 世紀を迎え、新興の富裕層が高額な車を自由に購える時代となったが、たとえばロンドンの人口の50%以上が外国人という現状では、英国の社会常識の存続を望むのは難しいし、もともとそんな常識さえ存在しなかった他国においてはなおさらである。これを要するに、威厳品格ともに不足で、ショーファーのいない若者にはロールス・ロイスという選択肢は当時は考えられなかったわけだ。


1953年のベントレーサービス施設ガイド。世界のディーラーネットワークやコーチビルダーのコンタクト先が網羅されている。
 
もうひとつ。英国ではレジストレーションすなわち登録番号は車ではなく人に帰属する。つまり車を替えた時、前車のナンバーを新しい車に継承することが可能なわけで、そのために古いナンバーが今でも現役で使われている。代々車を所有する一家であれば、数代前の祖先が使った登録番号をそのまま継承するのが普通だ。現在でも、英国を旅された際に高額車が、新車であっても桁数の少ないナンバーをつけているのを目にした方も多いだろう。


ベントレーRタイプ・コンチネンタルの取扱説明書

こうした登録番号の中には、今ではあり得ないほど桁数の少ないものや、語呂合わせが可能なものも多い。これらのナンバーは売り買いが可能で、専門のブローカーが多数存在する。新たに購入した新車のロールス・ロイスであっても、その年のお仕着せの登録番号を使うことは、代々車を使っていなかった、すなわち新興成金でしかも車の購入資金でカネが尽きて、ナンバーまでは手が回らなかったと世間がみなす時代だった。めずらしい登録番号はそれほどに高価だった。

今年のボナムスが催したグッドウッドのオークションでは「WO1」が落札予想価格30万ポンド、すなわち約4000万円で出品された。車両本体の価格以上だが、ベントレーオーナーであれば、またはベントレー社であれば、または「ワダ オサム」氏であれば、是非ともほしい登録番号に違いない。

 
では、そのような車を一介の若いサラリーマンがなぜ所有できたのか。それは、ひとことでいえば車がいわゆるクラシックカー、趣味の対象であったことと、私が英国人ではなかったからだ。彼等には私の正体はわからない。車が古いので高価な登録番号はもともと付いていたし、あとは私が白州次郎の再来を演じてさえいればよかったのだ。チップの散財はそれなりにきつかったけれど…。

文:小石原 耕作 Words: Kosaku KOISHIHARA (Ursus Page Makers)

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