「キング・ケニー」「ステディ・エディ」「ミスター100%」 WGPレジェンドライダーが11月、鈴鹿に登場!

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1970年代後半から1990年代前半にかけ、ロードレース世界選手権(WGP)で活躍したライダーの姿は今も脳裏に焼き付いている。「ミスター100%」ことウェイン・レイニー、「ステディ・エディ」ことエディ・ローソン、そして「キング・ケニー」ことケニー・ロバーツ… この3名が鈴鹿サーキットにやってくるとあっては、見逃すことはできない。彼らが登場する「SUZUKA Sound of ENGINE 2019」の開催は11月16~17日。それまでに、レジェンドライダーたちの活躍をおさらいしておこう。



ケニー・ロバーツ

Kenny Roberts
・1951生 国籍アメリカ
・WGP時代のライバル:F・スペンサー、B・シーン、J・チェコット、浅見貞夫、片山敬済、etc.
・タイトル:1978~80年 3年連続WGP500チャンピオン。1973、74年 AMAグランドナショナルチャンピオン


70年代に入り巨大化するオートバイのアメリカ市場を狙ったモータースポーツ活動は、ヤマハ、スズキ、カワサキの4社が鎬を削る大舞台に変貌していく。それにもっとも多大な貢献を果たしたライダーが、ケニー・ロバーツであることに異論を唱えるものはいないだろう。

ヤマハからの依頼でケル・キャラザース(オーストラリア 1969年WGP250チャンピオン)の指導を受けた若き日のケニー・ロバーツは、期待に応えて1973、74年連続してAMAグランドナショナル選手権を史上初、21歳の若さで勝ち取った。そして、1978年、アゴスティーニの引退を機に彼のWGP500の扉が開くことになる。

当時のケニーは、WGPには興味を示さなかったように言っていたが実は「出る以上は、自分が史上初のAMAとWGPの両チャンピオンになる」の気持ちが強く、圧倒的な強さを見せつけて参戦初年で見事にその年の年間チャンピオンを勝ち取り、その後3年連続でチャンピオン獲得の偉業を成し遂げた。

当時はヨーロッパ勢ライダーが大半のWGPの世界で、果たしてアメリカ流が通用するのか? と訝しく思っていた者は少なくなかったが、この快挙には世界中が沸いた。

彼の走法は独特で、オートバイとライダーがコーナーでの傾きを一体とする「リーンウィズ走法」が一般的だった時代、AMAのダートトラックで技を磨いた彼は、コーナーでマシンよりも体(尻)をイン側に落とし、マシンのスライドに対応できる走法(ハングオン走法)を我々の前に披露してくれた。



ロードレースでのある意味この突拍子もない走法は、ケニーがチャンピオンとなることで証明され、あっと言う間に世界中のライダーが真似をするようになり現在に至っている。

また、現役時代、メーカーを移り変わるライダーが多い世界で、彼はヤマハ一筋を通してきた。それは、命をかけたレース現場故、チーム内のぶつかり合いや契約金がもとで他メーカーに移るライダーが多い中で稀有なことだが、これこそが彼の人間性の一面を証明していると言えるだろう。

余談だが、ケニーのヘルメットにはアメリカの国鳥である白頭鷲が描かれている。コーナーをハングONで決め、先頭で立ち上がってくるヘルメットと、フルバンクしたマシンを想像してほしい。

70年代になり、遠目でもライダーが認識できる手段のひとつとして、多くカラーリングヘルメットが採用されるようになったが、それはまだ2色3色の色分けだけが多かった当時、サインボードを出すピットマンにも観客にも、一目でケニー(!)と分かる視覚効果も同時に生み、以後ヘルメットデザインの主流となっていった。

文:大林誠二 Words: Seiji OBAYASHI

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