自動車における本当のアートと呼べるものとは?デザインとアートの境界線

octane UK

1948年5月16日、イタリア、トリノ生まれ。1976年トリノ工科大学卒業。専攻は航空力学。同年、イタリアのカロッツェリア・ピニンファリーナに入社。同社にて開発担当役員までを歴任。1991年 チェントロスティーレ・ランチア(フィアット社ランチア)のデザイン部長に就任。2002年 フミア・デザイン設立。現在に至る。「己が最初の顧客」がモットーであり、機能性を優先した無駄のないスタイリングデザインを得意とする。アルファロメオ164ほか名車多数をデザイン。奥様は日本人であり、ほぼ毎年訪日されている。そんな彼こそ、エンリコ・フミアである。

デザインとアートの境界線をどこに置くか、それがとても難しいですね。完全に分けてしまうのは非常に難しい。自動車は工業デザインだから、量産するために作られる。工業製品と言われるものはすべてそうですが、複製する前提で作られるのです。量産技術そのものを芸術ととらえる考えも確かにありますが、本当の意味での「芸術」は、やはり希少な一品ものになってしまうでしょう。
 
自動車のデザインを芸術ととらえるにあたり、二つの時代があると思います。ひとつが量産の始まる前の時代。そのすべてがワンオフであり、すべてが職人の手によって作られていました。イタリア語で職人を意味するアルティジャーノ( Artigiano )という言葉がありますけれど、その文字の頭にもアートがあり、正に技術こそ芸術だった時代でもあります。そういう意味で工業製品の始まりはアートと直接関連付けられます。
 
ただ、やはり第二次世界大戦の前後で工業は大きく変わっていき、戦後に量産という動きが生まれました。自動車製造に関しては現代ではロボット化により、同じものを早く効率的に作るという流れがありますけれど、その間にアートというタイトルを持ったアルティジャーノたちがどんどん減ってきてしまいました。そうなってくると、自動車というものを芸術というメジャーで図ろうとしても、今の量産が主流となった時代ではどうしても難しくなります。
 
それでもあえて、今日において自動車を芸術としてとらえようと試みてみましょう。芸術品は一品ものであり、アルティザン(Artisan;英語で職人の意)達の手によるものだとすると、どうしてもクラシックカーの世界になってくると思います。ただしクラシックカーをアートとして定義付けしたのは、ここ30 年くらいの話です。古いほうが価値が高いということで50年以上前の車、第二次大戦前後の車をアートととらえる傾向は確かにありますけれど、ひとつの尺度としては、芸術性というとらえ方だけではなく、希少性としての価値も含まれてきます。
 
別の観点です。大量生産が始まって、車の持つ芸術性があまり見えにくくなっている理由として考えられることが他にもあります。例えばピエタの彫刻。ミケランジェロの作品として著名ですが、とりわけ「サン・ピエトロのピエタ」は他の芸術家によっても同じ題材で数多く作られています。ではなぜミケランジェロ作だけが傑作となっているのでしょう。こういった有名な芸術作品は「誰の手によって作られたのか」ということが、その作品の価値につながっているからです。しかし現代の自動車はデザイナーが見えない。それこそが芸術として価値を低くしてしまっています。
 
私の目からすると、ブランドの持つ価値に関係なく、フェラーリのトップモデルからトヨタの入門車両に至るまで、どこを見渡しても芸術作品と言える車が現在思いつきません。

オクタン日本版編集部

無料メールマガジン登録   人気の記事や編集部おすすめ記事を配信         
登録することで、会員規約に同意したものとみなされます。

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

RANKING人気の記事