67年間の「結婚生活」 ロールス・ロイスとベントレー│ダービー・ベントレー編

Photography:Gensho HAGA

今を去ること100年前。1919年に創業したベントレーは、W.O.ベントレーという稀代の名エンジニアが創った素晴らしい車を送り出してきた。そして"ベントレーボーイズ"とともに築き上げてきたモータースポーツにおける輝かしい戦果も相まって、操業開始から十年足らずで伝説的メーカーへと成長した。

順調に成長していったかのように見えたベントレー社だったが、当時の自動車業界では特例的だった5年間の品質保証のために経費が嵩んだこと。あるいはモータースポーツへの過大な傾倒によって、会社の経営状況は常にシビアな状況にあったところに1929年以来の世界大恐慌が襲い掛かり、ベントレー社は破綻を余儀なくされてしまう。そして、窮状にあったベントレー社に目を付けたのは、高級車マーケットを競うライバルのロールス・ロイス社だった。
 
1931年末、R-R経営陣はのちに少々強引とも言われた手法でベントレー社を買収。それから実に67年間にも及ぶ、長い"結婚生活"に入ったのである。
 
ロールス・ロイスによる電撃的な買収以後、創業以来の故郷となってきたクリックルウッドからベントレー車が生み出されることは、もう二度となかった。クリックルウッド工場は早々に売却され、以後ベントレー車の生産はすべてダービーのR-R工場にて行われることとされた。そしてダービー工場で生産される新時代のベントレー、いわゆる"ダービー・ベントレー" 第一作となったのが、1932年にデビューした"31/2リッター"である。
 
その内容は、同時期の小型版R-R、20/25HPをベースとしたモデルながら、モディファイは本格的なものだった。たとえば3.5ℓのエンジンでは20/25HP用ブロックは流用するものの、シリンダーヘッドはクロスフローレイアウトを採る別物。キャブレターもツイン化されたことで、その実質的性能(スペック未公表)は大幅に向上した。また、シャシーについても格段に低められ、ロードホールディングやハンドリングも飛躍的な向上を見た。


 
とはいえダービー・ベントレーは、世界に冠たるスーパースポーツであったW.O.時代のベントレーと比較すれば、おとなしいツアラーだった。たとえ贔屓目に見たとしても、グランドツアラー程度といわざるを得ないモデルだったのも事実だろう。特に4 1/2リッターはエンジン排気量の絶対的な小ささゆえに、発表当時にはアンダーパワーという評価を受けることもあったという。
 
しかしダービー・ベントレーは、W.O. 時代には望むことのできなかった新しい魅力を得ていた。スパルタンかつ豪快なリアルスポーツだったW.O. 時代のベントレーのルックスは、あくまで機能性を最重視した武骨なもの。エレガントなボディを載せることなど二の次とされていたのだが、ダービー時代になると"ヴァンデン・プラ"や" H.J.マリナー"、"バーカー" など英国内の老舗コーチビルダーはもちろん、フランスの"ヴァン・ヴォーレン" や、果ては"フィゴニ・エ・ファラシ" に至る当時の欧州の名門たちが、美しく豪奢なボディを競うように架装していった。


 
さらに、これまた名門コーチビルダーが一定数を生産する準制式ボディについても、極めて魅力的なものが用意された。つまり、現代にも通じるベントレーの豪奢で典雅なキャラクターを会得したのは、実はこのダービー・ベントレー時代のことだったのだ。さらに、1936年になるとエンジンを4.25 Lに拡大し、W.O.時代の傑作モデル"4 1/2リッター" を連想させる"4 1/4リッター" とのネーミングを冠した。排気量の拡大によってパワー不足も解消された4 1/4リッターは、その卓越したパフォーマンスとバランスによって往時のスポーツマンの多くをベントレーに呼び戻し、ついには"サイレント・スポーツカー" という有名な称号が授けられることになった。


 
そして1939年には、前輪独立懸架を含めた新世代シャシーを持つニューモデル"マークⅤ" も発表されるが、この年に第二次世界大戦が勃発したことに伴い、マークⅤはわずか11台のみを完成させたところで生産中止を余儀なくされる。しかも、第二次大戦中にドイツ空軍の空襲を受けたダービー工場から、戦後は乗用車の生産拠点がチェシャー州クルーに移されたため、結果としてマークⅤは、ダービー・ベントレーそのものの最終モデルとなってしまったのである。


1935 Bentley 3 1/2 Litre Coupe by Baker
ダービー・ベントレー時代初期を代表する、バーカー製2ドアクーペボディの3 1/2リッター。すべてがスペシャルコーチワークだったこの時代のベントレーは、ボディの魅力が市場における価値をも左右。この車両のようにスタイリッシュな2ドアモデルは、高い評価を受ける。ちなみにこの3 1/2 リッターは1970 年代から日本に生息し、当時はカーグラフィック誌の表紙も飾った有名な車。国内のコンクールでも輝かしい受賞歴を誇る。



文:武田公実 写真:芳賀元昌 取材協力:ワクイミュージアム
Words:Hiromi TAKEDA Special Thanks:Wakui Museum

文:武田公実 写真:芳賀元昌 取材協力:ワクイミュージアム Words:Hiromi TAKEDA Special Thanks:Wakui Museum

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