67年間の「結婚生活」 ロールス・ロイスとベントレー│戦後のロールス・ロイス編

Photography:Gensho HAGA

第二次世界大戦の開戦直前、軍需生産に応えるために乗用車生産部門の本社工場を旧ダービーからマンチェスター南西の田舎町クルーに生産拠点を移していたロールス・ロイス社自動車部門には、戦後「外貨獲得」という国家的命題が課されていた。特に世界通貨となりつつあった米ドルの獲得は、当時のイギリスにとっては、まさしく死活問題となっていたのである。

北米のカスタマーたちがベントレーに求めていたのは、自らステアリングを握ってドライブを楽しむことのできる、ちょっとスポーティだが手軽なパーソナルサルーンだった。そうした要望に応えて1946年5月に発売されたのが、戦後のロールス・ロイス社が初めて生産することになった完全戦後型ニューモデル、ベントレー"マークVI"である。


 
マーVIは、翌47 年に正式発売されることになるR-R"シルバーレイス" 用として開発された新世代シャシーを短縮し、同じくシルバーレイス用の直列6気筒Fヘッド(吸気OHV /排気サイドバルブ)エンジンを搭載したモデルであった。戦前のダービー・ベントレー以来の慣例に従ってキャブレターはSUツインとされ(マニュアル変速機仕様のみ)、シングルキャブのR-Rよりも高性能とされた。
 
一方、フロントのサスペンションは戦前型マークVと同じくダブルウィッシュボーン+コイルスプリングだが、こちらも完全な戦後設計に改められるとともに、キャビンの拡大を図るため、エンジン搭載位置が大幅に前進した。しかし、マークⅥ最大のトピックといえば、ベントレー史上初めて、クルーの自社工場内にて組み立てられる全鋼製の標準ボディを持つことを挙げねばなるまい。


 
クルー工場の敷地内には、新たにボディの組み立てやインテリア用のレザーの縫製、同じくインテリア用のウッドワーク。そしてボディのペイントなど、それまで外部のコーチビルダーに委託していた一連の作業を行う、専用のファクトリーが設けられることになった。ただし戦前以来のベントレーの伝統に従って、スタンダードでは満足できない顧客の要望によっては、ローリングシャシー状態での購入も依然として可能とされ、特注コーチビルドボディを架装したマークⅥ(およびのちのタイプR)も、少数ながら製作されることになる。


 
1952年にはトランクスペースを拡大するためにテールを延長。形状もより流麗にモダナイズするなどのマイナーチェンジを受けるとともに、ネーミングも新たに"Rタイプ" へと改名されることになる。そして時を同じくして誕生したのが、RR傘下時代のベントレー最高傑作と称されるパーソナル2ドアモデル"Rタイプ・コンチネンタル"である。
 
戦後の復興が進み、"サイレント・スポーツカー" 復活を求める声が高まったことに対応したこのモデルは、Rタイプをベースに製作されたスポーティなグランドツアラーであった。中でも、生産の大多数を占めたH.J.マリナー製の総アルミ製プレーンバッククーペは、その卓越したセンスとバランス感覚で全身に漲る緊張感を見せる一方、グラマラスな優雅さにも溢れる、類い稀なる美しさを実
現していたのだ。
 
もちろん動力性能についても"サイレント・スポーツカー"の称号に恥じないもので、直列6気筒Fヘッド4.5リッター(のちに4.9リッターに拡大)ユニットは、Rタイプ・サルーン用をベースに圧縮比アップやキャブレターの大径化などの軽度なチューンによりパワーアップ。120mph(約192km/h)の最高速度に代表される、同時代の本格的スポーツカー並みのパフォーマンスを実現していた。


1950 Bentley MKVI Sports Saloon by H.J.Mulliner
戦後ベントレー第一作にして初の量産モデルたる"M k Ⅵ" と小改良版"R タイプ" は、戦前モデルを継承したスタイルと骨っぽい乗り味、さらに意外なコンパクトさもあって、近年旧車市場での人気を高めている。ボディは全鋼製標準サルーンと有名な"R タイプ・コンチネンタル" に加えて、ごく少数ながらスペシャルコーチビルドも製作。このH.J. マリナー製サルーンも一見標準ボディに似ているが、市場での価値は二倍以上に及ぶ。



文:武田公実 写真:芳賀元昌 取材協力:ワクイミュージアム

文:武田公実 写真:芳賀元昌 取材協力:ワクイミュージアム Words:Hiromi TAKEDA  Special Thanks:Wakui Museum

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