イタリアで開催されたアバルトデイズ│噂の「HUB」も見学

Photography:Yo MATSUMOTO, FCA

2019年、Abarth&C.は設立70周年を迎えた。これを祝って、去る10月5、6日にイタリアはミラノのエキスポ跡地で開催された記念祭、アバルト・デイズに足を運んだ。翌日はFCA ヘリテージ部門がトリノに今春オープンした「HUB」を訪問。ハブは同グループの有するフィアット、アルファロメオ、ランチア、アバルトの歴代車両を集めた施設で、ヘリテージ・ファンのミーティング・ポイントと位置付けられている。ここでクラシックアバルトを堪能、記念祭とともに70 年の素晴らしい時間を満喫した。
 
アバルトほどイタリア人の気質にマッチした自動車はない。彼らにとってフェラーリは誇り、アルファ・ロメオは心の故郷、イタリアという国のアップダウンをそのまま投影するフィアットは自分自身だ。これで行けば僕らの好みをもっともわかってくれている車、それがアバルトではなかろうか。キーワードは差異化と性能。

他人とちょっと違っていて、他人よりちょっと速いことを好む彼らのテイストにマッチした。アバルト・マシーンをもって"ちょっと"と言うには語弊があるけれど。


70周年記念モデル 695 70 °ANNIVERSARIO(2019年)
70周年を記念して今回のイベントでデビューした695 70°アニヴェルサリオ。1.4ℓターボエンジン搭載の595コンペティツィオーネをベースに、あらたに12段階の調整機能つきルーフスポイラーが装着された。最大60度に開いた状態で200km/h 走行時には42kg のダウンフォースを生み出すという。リアのエンジンフードを空力向上の目的で水平に固定した70年代のアバルト1000TCR がヒントとなったようだ。一方、ボディカラーはフィアット500エラボラツィオーネ・アバルト・レコルトへのオマージュ。ヴェルデ・モンツァと呼ばれるくすんだグリーン。ボディ下部はアバルトの象徴的カラーのグレー。サソリのデカールももちろん健在。創業年にちなんで1949台生産される。

 
アバルト&C.はイタリア系オーストリア人、カルロ・アバルトが起こした。彼の最大の功績は、1950 年代終わりから「マルミッタ・アバルト」(アバルト・マフラー)に代表されるエグゾーストシステムやステアリングホイールを生産、販売したにとどまらず、フィアットの量産車に組み込んでコンプリートカーに仕立てたことだろう。600 やヌオーヴァ500といった非力な大衆車を、小粒でピリリと辛い山椒に変身させた。

 
フィアット・アバルト750レコルド(1956年)
1956 年にFIA世界スピード記録初挑戦のために製作された750レコルドは、フィアット600の750ビアルベロをベースにチューンを施して44 psを獲得。アルミ製のボディパネルの採用により車重はわずか385kg 。小さなテールフィンを備える流線型のスタイリングを与えたのはベルトーネ。
124アバルト・ラリー(1972年)
1971年にフィアット傘下となったアバルトの最初のミッションは国際ラリー参戦を決めた同社のワークスチーム車両の開発。124スポルト・スパイダーに搭載された直列4気筒DOHC 1756ccをチューン、徹底した軽量化が図られた。73 年から参戦、この年のメイクス・シリーズ・ランキングで2位を獲得した。


チューニングカーというジャンルを開発した立役者である。カルロは宣伝効果を期待してスピード・チャレンジやレース参戦に情熱を注いだ。実際、多くの記録更新と勝利によってアバルトの名は不動のものになったが、レース資金投入は次第に経営を圧迫、71 年にフィアット傘下入りを余儀なくされた。

 
1971年、アバルトは20種あまりの量産車を世に送り出している。ワンオフやデザイン・スタディ・モデルを加えればさらにその数は増す。61年のフィアット・アバルト2400クーペ・アレマーノのようにカロッツェリアとのコラボレーションによって製作されたモデルもあるが、カルロ自身は量産を前提としたプロトタイプ製作については積極的ではなかったらしい。


フィアット・アバルト 2400 クーペ・アレマーノ(1961年)
ダブルロッカーアームと多球型形燃焼室を併せ持つ、極めて凝ったメカニズムのフィアット1800/2100のOHVエンジン(ランプレーディ設計)をさらに洗練させて搭載、ミケロッティの手になる端正なデザインをアレマーノが具現化した。軽量ピストン採用、ウェバー38DCOEキャブレターやツイン・テールのマフラーを装着して最高出力は142ps、最高速度は200km/h に到達した。写真はカルロのパーソナルカー。ボディカラーのレッドとトーンを揃えたダークレッドの内装はカンパニョーロのホイールとともに彼のセレクトという。現在はFCA のヘリテージ部門が所有、今回100m ほど同乗試乗させてもらったが、素晴らしいエンジン音に魅せられた。



たとえば64 年のフィアット・アバルト2000クーペ・ピニンファリーナはリアエンジン・レイアウトを利用してパワートレインとエグゾーストパイプを大胆に見せる傑作。ウェッジシェイプの先駆者のような存在だが、これはピニンファリーナ側からの提案である。もちろんカタログモデルになることを狙ってには違いないが、カルロがフィアットの車両にポテンシャルを見出したように、カロッツェリアにとってスピードを追求するアバルト車両は新しいことにチャレンジする魅力的な存在だったのだと思う。デザインも含めて自動車の作り手に刺激を与えた、これもアバルトの功績と言える。

  
フィアット・アバルト1000モノポスト・レコルト(1965年)
フォーミュラタイプで競われる速度記録挑戦用モノポスト。ベースは1000ビアルベロ。ツインプラグ化したエンジンをチューブラーフレームの中央部に配置した。スタイリングは空力に強いピニンファリーナ。自らチャレンジを決めたカルロはタイトなコクピットに収まるために体重を30kgも落とし記録更新を果たした。
フィアット500アバルト・シリーズ(1957年〜)
1957年から始まったフィアット500 のアバルト仕様は600とともに60年代のイタリアでボーイズレーサーたちに最も人気のあったモデルだ。排気量はそのままにオリジナルの3.5ps増でスタート。63年には595/696シリーズがデビュー。チューニングキットも発売された。写真はFCA ヘリテージ部門が所有する595。


 
1971 年以降はフィアットの競技車部門に置かれレース車両の開発に従事、WR C での活躍をはじめ素晴らしい結果を残したものの、サソリのエンブレムを付けた量産車はアウトビアンキA112、フィアット124、131、リトモと極めて少ない。フェラーリやマセラティの開発にも関わっていたようだが、いつしか"見えぬ"存在になって行った。待望の復活は2007 年のこと。法人化されて蘇る、このニュースが流れた日のことははっきり覚えている。イタリア人に拍手喝采で迎えられたが、喜びと共に「本当なんだろうな」、そんな世論だった。


カラーリングやラッピングで個性を演出するオーナーが多いのもアバルトならでは。フロントグリルのABARTH の文字をモディファイしたものも目立った。カスタマイズで目を引いたのはガルウィング式のドアを備えた500 。サソリのステッカー満載派から挿し色を入れて凄みを効かせたものまで多種多様。
 

会場で3500台余りのアバルト車両を見て感慨深かった。いずれも個人オーナーが持ち込んだもの。このなかには「本当なんだろうな」と懐疑した人もいるに違いない。いずれの車両もそのほとんどが現行500モデルだ。これも感慨深かった。私のような世代がこれぞアバルトと思うような車両はほとんどないのである。耳にはピアス、腕にはタトゥーを入れた595コンペティツィオーネのオーナーに「昔のアバルト、知ってる?」と尋ねたら、何をのたまう、そんな表情で彼に聞き返された。「知らない人、いる?」

「時代に沿ってモダナイズされた500 のアバルト・バージョン、最強の組み合わせだと思う。走り、サウンド、ステイタス、すべて最高」、こう語った若者にアバルトの魅力を尋ねた。「スピードの歴史と、マルミッタとか内装に見られるディテールの伝統」
 
かっ飛んでいるようで実は歴史と伝統に従順なこの国の若者らしいと微笑ましかった。会場中央にすえられた舞台では人気DJ がラップを歌う。今のアバルトを謳歌するオーナーはみんなノリノリ。大いに盛り上がった70 周年記念祭だった。

文:松本 葉 写真:松本 葉、FCA Words:Yo MATSUMOTO Photography:Yo MATSUMOTO, FCA

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