最もレアなランボルギーニのクラシックモデル?試乗して分かった残念なこと

Photography:Tim Andrew


 
実際、まさにそのとき、1974年にフェルッチョ・ランボルギーニから残された49%の株式を買い取った新しい共同オーナーのスイス人ビジネスマン、レネ・レイマーは、後にM1プロジェクトとして知られる提携をBMWに持ちかけている最中だった(残りの51%はフェルッチョの友人だったジョルジュ・アンリ・ロゼッティが先に取得済みで、レイマーもまたロゼッティの友人だった)。そして、すべては不首尾に終わり、1978年までにランボルギーニ社は倒産してしまうことになる。
 
とはいえ、このときはまだなんとか再浮上しようとランボルギーニ社は必死にもがいていた。1972年のウラッコに始まった、2+2のスモールモデルで販売台数を増やすという戦略を継続しており、その流れのなかでシルエットは誕生する。ポルシェやフェラーリのタルガトップモデルが米国で成功したとみるや(そのことが既にウラッコというコンパクトGTが存在しているというのに、さらにシルエットを企画したランボルギーニの根拠だったわけだが)、"三匹目のどじょう"を狙うべくシルエットをタルガルーフ仕様とし、取り外したルーフパネルはシートの背後に収納可能としたのだった。
 
それゆえシルエットは小改良を施したウラッコのシャシーをベースとしている。ウラッコとはまるで違う雰囲気のスタイルではあるけれど、ところどころによく似たプレスラインが残された。たとえばリアフェンダーなどは、四角いオーバーフェンダーで覆われてはいるものの、基本的にはウラッコと同じ造詣だ。

ウラッコと同様にシルエットもスタイリストはベルトーネのマルチェロ・ガンディーニで、スクエアなフェンダーアーチと"テレフォンダイヤル"デザインのディープディッシュ・アロイホイールなどは、いずれも当時のガンディーニデザインの特徴だと言っていい。



ウラッコや1974年にガンディーニがデザインしたコンセプトカーのブラーボよりも目立つスタイルに仕上げたかったらしく、結果、シルエットは後に80年代の車だと勘違いされるほどに目新しいデザインを手に入れたのだった(これとよく似たホイールのため、シルエット用やLP400S用のテレフォンダイヤル・ホイールはブラーボホイールと呼ばれることもある)。

 
カンパニョーロのホイールには、開発されたばかりのピレルP7扁平幅広タイヤが組み合わされている。リアの極太タイヤというとカウンタックのそれを思い出すが、最初期のLP400は215/70×14を履き、シルエットの285/40×15に比べるとずっと細かった。サイズは違うけれども、同じくP7タイヤは後に、ジャンパオロ・ダラーラとランボルギーニが共同で開発したBMW M1にも装着されることになる。

・・・次回へ続く

編集翻訳:西川 淳 Transcreation:Jun NISHIKAWA Words:Mark Dixon Photography:Tim Andrew

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