フェラーリの中でもとびきり稀少な1台!│創業者エンツォ・フェラーリのビジョンを今に伝える

Photography:Evan Klein



F1世界選手権は1950年に始まり、当初のレギュレーションは、4.5リッター自然吸気エンジン、または過給機付き1.5リッターだった。1950、51年はアルファ・ロメオがスーパーチャージャー搭載のマシンで制覇したが、レギュレーションの変更とともにアルファは撤退。1952、53年はF1とF2のマシンが混在し、最大排気量は自然吸気が2リッター、過給機付きが750ccに変わった。当然ながら、ランプレディ(当時まだ30代半ばだった)率いるフェラーリのエンジニアは、休むことなく働き続けた。
 
エンツォは、2年間適用されることになっていたこの新ルールに勝機を見いだした。スクーデリアに名声をもたらしたV12とは正反対の、軽量なDOHCの直列4気筒エンジンを開発したのだ。その頃、フェラーリの年間生産数は100台に満たない、小さな会社にすぎなかった。しかし、エンジンの種類は驚くほど多彩で、4気筒と12気筒の2レイアウトが、1.5リッターから4.5リッターまで揃っていた。このバラエティの豊かさが成功につながった。2リッターの4気筒エンジンを搭載したシングルシーター、フェラーリ・ティーポ500 F2で、アルベルト・アスカリがタイトル戦7連勝を飾ってF1チャンピオンとなり、フェラーリに初タイトルをもたらしたのである。



ランプレディの4気筒エンジンは、太いトルクと低回転域でのレスポンスの鋭さで、スポーツカーレースでも大成功を収めた。デビュー戦は1953年12月20日、モロッコで開催されたカサブランカ12時間レースだ。そこでアスカリとジジ・ヴィロレージは、V12エンジンのフェラーリ375MMに次ぐ2位でフィニッシュ。2人がドライブした新車は3リッターモデルのコンポーネントを数多く流用していた。それが500モンディアルである。500は1気筒あたりの排気量を示し、モンディアルは、このエンジンでF1を初めとする数々の国際的勝利を挙げたことを象徴していた。



500モンディアルはジェントルマンドライバーのために造られた。その代表がヴィットリオ・マルゾットだ。4人兄弟の長男で、全員がレーシングドライバーだった。マルゾットは500モンディアル・スパイダーを駆って、1954年5月にミッレミリアで2位フィニッシュを飾っている。この車はプロトタイプで、6台のみのスカリエッティ製ボディだった。

一方、プロダクション版のティーポ501のうち、現在"セリエI" として知られる初期型は、1954年に22台が製造された(その後、新たなエンジンブロックを採用)。すべて右ハンドルで、ほとんどがアグレッシブでエレガントなピニン・ファリーナ製のオープンボディを架装していた。その後の14台は、よりパワフルな750モンツァ(1気筒750cc、3リッターの4気筒エンジンを搭載)と同じボディスタイルだった。


・・・次回へ続く

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo. ) Transcreation:Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.)  原文翻訳:木下 恵 Translation:Megumi KINOSHITA Words:Massimo Delbo Photography:Evan Klein

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