背中に感じる600馬力のパワー!│突出した魅力を持つブガッティEB110に試乗

Photography:Rémi Dargegen

ル・マンを最後に走ったブガッティが、サルト・サーキットへ戻ってきた。動画共有サイトで人気の車載ビデオなど気にしなくていい。もうテレビゲームはゴミ箱に放り投げよう。これ以上アドレナリン分泌を促すものはないと言わしめるのが、今回の試乗車だ。
 
ターボチャージャーを唸らせながら600bhpのパワーに背中を押し付け、グリッドから続く勾配のついた長い直線を一気呵成に駆け登る。右、左、右とタイトコーナーの連続を抜けると、あっという間にダンロップ・ブリッジが目の前に迫ってくる。ブリッジは迫ってくるものの、そこから先の下り坂になっているコースは見えない。そして、下り坂に入ると重力が軽くなることを感じる。
 
そもそも重力が軽く感じる以前にこの試乗では終始、フワフワした気持ちに見舞われていた。なぜなら、筆者はル・マン24時間に参戦した今のところ最後となっているブガッティのステアリングを握っていたからだ。実に25年ぶりにル・マンのコースに戻ってきたのだ。とは言っても、実際のル・マンに参戦したのではなく、コースの一部を走らせたに過ぎないのだが⋯。ダンロップ・ブリッジ手前の走りはル・マンでの走りを再現させようとしたもので、同時にEB110の市販車としてもレースマシンとしても悲しい歴史を振り返ったものでもあった。大胆不敵であり、成り上がり者であり、200mphドリームであり、順序も違えばタイミングも違ったEB110。小説『ドン・キホーテ』にも相通じる狂気すら漂っていた。


 
ブガッティEB110の武勇伝は、もはや伝説と化している。イタリアの起業家でブガッティの熱狂的なエンスージアスト、ロマーノ・アルティオーリが長年ブガッティの復活を切望し、1980年代後半に実行に移した。ブガッティの創設者、エットーレ・ブガッティが打ち立てた理念に沿って、世界最高水準の車を、世界最高水準の素材で、世界最高水準の工場で組み立てることとなった。世界最速かつエクスクルーシブで、どの観点からも真にブガッティであった。もちろん、当時の最先端技術が盛り込まれフルタイム4WD、後のマクラーレンをも凌駕するカーボンファイバー製シャシー、そしてV12エンジンにはターボチャージャーを2個ではなく、4個も搭載した。
 
エットーレにとって110回目の誕生日に当たる1991年9月、EB110の新車発表会がパリで盛大に開催された。フレンチ・レーシングブルーのEB110が凱旋門やパリ市内をパレードし、ベルサイユ宮殿ではシャンパンがふんだんに振る舞われた。最近でこそめずらしくはなくなったが、ブガッティはブランドの復活に伴い、有名デザイナーが手掛けたスカーフや万年筆といった"ライフスタイルアクセサリー"もふんだんに取り揃えた。
 
アルティオーリは、エットーレの理念に沿った各種"世界25年ぶりのサルトにて最高水準"を本当に成し遂げてしまった。イタリアはカンポガリアーノに構えた工場は、小規模の自動車メーカーから想像されるような暗く薄汚いものではなかった。アルティオーリの従兄、ジャンパオロ・ベネディーニが設計した工場は、空間をたっぷり活かし、自然光が差し込む設計で明るく、内部には最新鋭の工具が整然と並び、開放的なものであった。高級床材が用いられたスタッフ用のカフェは、清掃員からロマーノ自身、工場を訪れるVIP顧客までがともに食事を楽しむ場所であった。

--{肝心の車はどうだったか?}--
 
デザインについては賛否両論があったかもしれないが、EB110を運転して否定的な意見を述べた人はいなかったはずだ。最高速度の計測データが様々あると言われていることは、気にしなくていいだろう。それよりも一般道での走り、シャシーダイナミクス、そしてパワーデリバリーに注目すべきだ。4WDシステムとバランスのよさが手伝って、ドライバーはトラクションコントロールのON/OFFにかかわらず、エンジンパワーを無駄なく路面に伝えることができた。新生ブガッティが世に送り出したEB110は、間違いなく超高性能マシンでブガッティらしく突出した魅力の持ち主であった。
 
EB110のエンジニアリングは、元ランボルギーニのパオロ・スタンツァーニによって始まったが、アルティオーリとの方向性の違いで完成を見ずに両者は決別し、フェラーリF40の開発で知られたニコラ・マテラッツィが仕上げた。
 
自然な流れとして、EB110をレースに持ち込もうと言い出す人間が現れる。それが新生ブガッティの工場を設計したジャンパオロ・ベネディーニだった。ちなみにEB110のオリジナルデザインはマルチェロ・ガンディーニの作だが、アルティオーリが満足できるものではなく、ベネディーニが最終的なスタイリングに仕上げた。ベネディーニは新生ブガッティの継続的な成功の鍵は、モータースポーツを通したブランディングにあると確信していた。こうした経緯から、1993年からアルティオーレとベネディーニはブガッティのサーキットにおける復活についても模索していた。EB110をベースに軽量化と出力向上を図ったスーパースポーツモデルにEB110SSがある。その1台、黄色に塗られた車をミハエル・シューマッハが購入したといわれている。


 
EB110SSは、モータースポーツに本格参戦する計画以前のものだったが、確実へ道筋を切り開いた。ル・マン24時間参戦へのプロジェクトが立ち上がったのは、1993年後半のことだった。技術開発は社内のR&D部門とイタリアが誇るブレーン集団が手掛け、レース車両製作は、フランスのシナジー・オートモビルとメカ・システムが担当。チーム運営ならびにスポンサー、そして正式エントラントは出版社を経営する元レーシングドライバー、ミシェル・ホーメルとなった。
 
アルティオーリ率いるブガッティはブランド復活を遂げる際もレースでも、あきれるほど楽観的だった。1994年のル・マン参戦は、ジャン・ピエール・ウィミーユとピエール・ヴェイロンがタイプ57で優勝を飾ってからちょうど55周年を記念するイベントへと昇華させた。なせば成るとはよくいったもので、チームはEB110ベースのレース車両を完成へとこぎつけた。4WDシステムに起因する重量過多、想定設計の性能を遥かに超えた市販車ベースのパーツなどと問題は多々あったにもかかわらずだ。たった1台しか存在しないレース車両でありながら、パリ市内からル・マンまでの道のりを華々しく自走していった。さすが、ブガッティ社内に楽観主義が蔓延していただけのことはある。



編集翻訳:古賀貴司(自動車王国) Transcreation:Takashi KOGA (carkingdom) Words:Dale Drinnon Photography:Rémi Dargegen

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