美しいサウンドと走りにゾクゾク!「大人」なスポーツカー ブガッティEB110 ル・マン

Photography:Rémi Dargegen


 
クローズドサーキットから一歩足を踏み出してみると、一般道(といってもル・マンではコース)でも、EB110ル・マンを操る楽しさは変わらなかった。ミュルザンヌ・ストレートの出口は「インディアナポリス」にかけてル・マン開催中は右コーナーとなっているが、通常はラウンド・アバウトだ。ここを低速で曲がるのも楽しい。EB110ル・マンというレースマシンを操ることは私にとって特別なひとときなので、ややバイアスがかかっているのかもしれない。
 
通行量もほとんどない状況を見て、アクセルペダルをさらに奥深く踏み込んでみた。4WDのおかげでタイヤが路面をしっかり掴んでいることが体感でき、グイグイと加速していく。タイヤを滑らせるなど不可能に感じられるくらいだ。それでいてエグゾーストノートは昨今のスーパーカーではありえないほど静かだ。これこそがアリティオーリが思い描いたブガッティ像で、レースマシンとて同じだったのだろう。周囲からの注目を集めたいわけではない⋯、と。そういう意味では"大人"なスポーツカーといえるだろう。
 
ノーマルのEB110SSでさえ60mph加速は3秒未満、最高速は220mphを誇った。現在のスポーツカーと比較しても、まったく見劣りしない数値だ。EB110ル・マンの最高出力は1994年のレギュレーションに準規してEB110SSと同じ600bhpだが、約200㎏の軽量化が功を奏している。ミュルザンヌをフル加速していく様を想像するだけで、ゾクゾクする。
 


ブガッティによるル・マンの挑戦は、マーケティング戦略でもあっただろうが、市販車ベースのレースマシンによる復権を目指したものでもあった。予選は17位で通過した。決勝では燃料タンクに穴が開くも、エポキシ樹脂で修復。ターボチャージャーを複数回、交換するも、レースはアラン・クディーニ、エリック・エラリー、ジャン・クリストフ・ブイヨンのフランス人ドライバーによって順調に進んでいった。残すところ45分となって5位入賞はできるだろうと誰しもが思っていた時、ブイヨンがダッジ・バイパーを追い越した際にアクシデントは起った。EB110ル・マンは急に左に逸れ、バリアに激突。トラブルを起こしたのは、タイヤなのか、ブレーキ、あるいはサスペンションなのか、はたまたドライバーのミスなのか、真相は今も明らかではない。こうして、ブガッティによるル・マン復権の夢は、あえなく閉ざされた。
 
ブガッティにとっては、ル・マン敗退よりも、現実問題のほうが深刻だった。生産は遅れ、その間に世界景気に陰りが見え始めたことで、販売状況もいまひとつという状態に見舞われていた。当時のブガッティを巡る財政状況については様々な噂がまことしやかに語られているが、1995年に会社をたたまざるを得なくなった。3年後にアルティオーリは「ブガッティ」の商標をフォルクスワーゲン・グループに売却。これにより、ブガッティ再生への可能性が残されることになった。
 
ロマーノ・アルティオーリのような起業家は、決して立ち止まらない。数年前、地中海でアルティオーリが所有するヴィラで会ったとき、彼は80歳代半ばながらサステナブル・エネルギーのプロジェクトに関わっていた。ブガッティの工場を設計したジャンパオロ・ベネディーニも立ち止まってはいなかった。工場の衰退ぶりは悲しみに包まれたモニュメントと化しているが、彼の設計事務所の経営は順調に繁栄した。現在は家族が代々住むマントヴァに住居を構え、タツィオ・ヌヴォラーリとイタリア消防士ミュージアムの運営に携わっている。
 
EB110ル・マンはその後、ミシェル・ホーメル自身の自動車博物館に収められた。博物館で丹念に修復され、フランス随一のフランス車コレクションとともに並べられていた。

編集翻訳:古賀貴司(自動車王国) Transcreation:Takashi KOGA (carkingdom) Words:Dale Drinnon Photography:Rémi Dargegen

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