スクラップされる日を待ち構えていた?ラリー史に燦然と輝くNo.1カー

この記事は『2台を使って徹底的にテスト│ランチア037の歴史 パワーユニットの検討』の続きです。

ランチア・アバルト・ラリー部門のボスであり、ランチア 037の第1号車を製作したセルジオ・リモーネに誕生の裏話を語ってもらう。

「"彼女"がNo.3カーの後ろ側に停められているのを、私は雨の日も風の日も毎日眺めていました。それは見ていて悲しくなる光景でした。そして、スクラップになる日が刻々と近づいているように思えたのです。

"彼女"をなんとかして救えないかと考えるようになりました。そこで私は1983年6月にジェネラル・マネージャーのファビオ・マッシメルに申し出ました。『面倒な手続きを抜きにして、あの車を買い取れないだろうか?』と。現代であれば信じられないことですが、彼は同意してくれました。車をほしがった理由を訊ねた彼に、私はこう答えました。『あれは私が作った最初の車なのです』 とね。1983年6月30日の日付がつけられた出荷票はいまだに私の手元にあります。
 
そこには、私がクラッシュしたシャシーを購入したと記されています。実際にクラッシュしたわけではありませんが、そうしたほうが安い値段で手に入ったのです。M1用ギアボックス、前後のホイールを2 本ずつも一緒に手に入れました。トレーラーに乗せられたときの写真も持っています。ボディのカラーやパーツはバラバラでしたが、ひととおり揃っていました。


 
1981年半ばの状態までに復元するのに、およそ10年かかりました。作業の多くは、アバルト時代のかつての同僚に手伝ってもらいました。エンジンにはクーゲルフィッシャー製燃料噴射と公道走行用の小さなスーパーチャージャーが装備されています。決してパワフルなエンジンではありませんが、扱い易く、しかも壊れません。
 
2010年になると、車の保管場所で困るようになりました。すると、ヴェルナスカ・シルバー・フラッグというイベントで再会した古い友人がこれを買いたいと申し出てくれたのです。そこで“彼女”を手放すことにしました。とても残念ですが、この年齢になると、あの車をしっかりと走らせるのは容易ではありません。今日、カンポ・ヴォロで彼女の姿を目にし、様々な感情にうちひしがれました。彼女は私の人生にとって極めて重要な存在であり、一生忘れることができないでしょう」
 


私も短時間ながら"彼女"をドライブすることができた。騒音はたしかにすさまじかったが、ロードホールディングは完璧で、ステアリングを使わなくともスロットルペダルでコントロールできるほどマシンとしてのバランスも優れている。コーナーへの進入速度が速すぎるとアンダーステアが顔を出すが、スロットルとステアリングを適切にコントロールすれば安定したパワースライドも楽しめる。このとき、私は優しい両親に見守られながらおもちゃと戯れる子供の心境を味わっていた。「ジョルジョ・ピアンタが言ったのは、このことだったのか……」 私は遅ればせながら、そう気づいた。
 
しかも、これはただの037ではない。ラリー史に燦然と輝くNo.1カーなのである。まさに掛け替えのない1台といっていいだろう。

編集翻訳:大谷達也 Transcreation:Tatsuya OTANI Words:Massimo Delbò Photography:Max Serra 取材協力:マックス・ジラード(ジラード&Co. )、マーカス・ウィリス

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