最初の一台は?!│70年前にデビューしたアストンマーティン「ヴァンテージ」

Aston Martin

アストンマーティン・ブランドにヴァンテージというモデル名が登場したのは1950年のこと。この年、“ヴァンテージ仕様”のアストンマーティンDB2がデビューした。
 
初期において、ヴァンテージいうモデル名は、強化されたエンジンを搭載したバージョンという意味で使われていた。DB2の場合は、ラゴンダ製2.6リッター・エンジンに大径SU HV6キャブレターと、8.16:1という高い圧縮比が組み合わされていた。これらの強化策により、最高出力は、標準バージョンのDB2の約105bhpから大幅に引き上げられ、125bhp/5000rpmに達していたのである。

サルーンおよびオープンクーペ・バージョンが設定されたDB2 ヴァンテージバージョンは、ミドルセックス州フェルサムにあったアストンマーティン工場で製造された。その台数は、250台以下だったが、今日でも数多くのDB2 ヴァンテージバージョンが走行可能な状態で保存されている。


 
初期のヴァンテージプログラムには、アストンマーティンに在籍する数多くのエンジニアおよびデザイナーが参加。アストンマーティン・ヘリテージトラストのアーカイブに保存されている、バルブタイミングの試験に関する技術論文によれば、その当時、有名なレーシングカー・デザイナーであったロバート・エベラン・フォン・エベホルストがプロジェクトを統括していたという。彼は、アストンマーティンDB3およびDB3Sの設計も担当し、それ以前には初期のアウトウニオン・チームの設計者としても優れた手腕を発揮している。


 
1951年に英国のアールズコートで開催されたモーターショーにおいて、アストンマーティンが作成したプレスリリースには、ヴァンテージ違いについて、次のように記されている。「1951年のアールズコートには、2台のアストンマーティンDB.IIサルーンが展示されます。1台は通常のエンジンを搭載していますが、もう1台は昨年と今年のル・マンにおいて高い信頼性を実証した“ヴァンテージ”エンジンを搭載しています」
 
強化されたパフォーマンスを示す“ヴァンテージ”という名称は、当時のスポーツカー愛好家の間で次第に浸透していった。しかし、さらに洗練された次世代のヴァンテージモデルが登場するまでには、さらに10年の歳月が必要となったのであった。

オクタン日本版編集部

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