「普通」ではない!│2名だけだった?ラリーカーフォード RS200をデイリーカーとして

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著名ライターのグレアム・ロブソンは80年代にRS200を日常の足として使っていた。

生産されたRS200の20台~30台がモータースポーツに用いられ、残りはコレクターのガレージに収まった。1980年代半ば、日常的に運転していたのは2名しかいなかったといわれている。ひとりはRS200唯一のセールスマンだったボブ・ホーで、もうひとりは何を隠そう、筆者であった。当時、フォードが主催していたオーナーズ・クラブのマネージメントを請け負いながら、車両サービスマニュアルの制作もおこなっていた。
 
同じRS200とはいえ、ボブと私はよくお互いの車両を交換して乗っていた。フォードが必要としていたのは、日常生活における走行距離からの耐久性データだったの思う。普段、ボアハムの車両出入口は厳しかったのだが、警備員もボブと私の顔、そして毎日出入りするRS200に慣れ"顔パス"となったことが面白かった。
 
ボブはRS200に興味を示した顧客は必ず試乗に連れ出し、なんと10万マイルを走破。私はというと4年間に渡り4台のRS200で延べ8万5000マイル走った。最も記憶に残っているのはピレリ・クラシック・マラソンの"追っかけ"でイタリア・コルティナまで往復したことだった。
 
朝一番、RS200を始動した直後にはオイルプレッシャーが高く、とにかくジェントルに扱わなければならない。そうしないとパイプを損傷するということを、ボブと私は実体験から思い知らされた。RS200を走らせていると様々な車が"勝負"を挑んでくるが、コーナーやランドアバウトでRS200の凄さを目の当たりにするとすぐに諦めてしまう。
 
ほぼ無意味なヒーター、ほぼ無きに等しい後方視界、そして極めてデリケートな操作が求められるクラッチに慣れさえすれば、RS200と過ごす日々は至って平和だった。唯一、気をつけたのは、なるべく渋滞する道を避けることだった。さもなければ、BDT エンジンはグングンと水温を上げていく傾向にあった。気難しそうなRS200ではあるが、美形でもない私が運転していても、道行く美人たちが微笑んでくれるおまけもあった。

編集翻訳:古賀貴司(自動車王国)  Transcreation:Takashi KOGA (carkingdom) Words:Graham Robson

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