車好きも楽しめる!│フランス・ミュルーズにあるフランス鉄道博物館を訪れて

Photography: Tomonari SAKURAI

フランス在住フォトグラファーの現地レポートをお届け。

北海道の旭川に行く機会が何度もあった時期がある。日本に一時帰国する度に旭川に行っていた。車で大洗からフェリーで行ったこともあり、もちろん飛行機もある。そして、使ったことの無い手段で今度行ってみようと寝台列車カシオペアで出かけてみたこともあった。鉄道にはそれほど興味もなく、寝台列車というのはこれが初めての経験となった。”夢のような17時間”というものを経験してしまった。


パリに戻り、イタリアでの撮影に行くのに普段は車で行くのだが、この後は何とか寝台で行ってみようと調べてみた。パリ発ベネチア行きという寝台を発見してそれに乗ってみた。食堂車もあり、そこではナイジェリア駐在という日本人の若いご夫婦に出会ったり快調な始まりだったがスイス、イタリアの順で国境を越える度に入国審査に、税関監査でたたき起こされた。カシオペアとは雲泥の差で決して快適な旅ではなかった。飛行機や、超特急が主流のこの時代に寝台車に乗るというのはチェックの対象になるようだ。
 
時を同じくしてパリのアラブ世界研究所では、ヨーロッパとアラブが繋がった瞬間ということでオリエント急行の車両現物が展示された。鉄道ファンでない自分もすっかり虜になり、プチ・マイブームとなったのだ。


閉館の危機を乗り越え、子供から大人まで楽しめるフランス国内最大規模の鉄道博物館Cite du Train。


フランスのアルザス地方、ドイツとスイスの国境に近いミュルーズという街にフランス鉄道博物館、Cite du Trainがある。寝台列車からすっかりプチ・マイブームとなったこともあり、この博物館を訪れた。このミュルーズにはこの鉄道博物館の他、国立自動車博物館もあるのでじっくりと楽しめそうというのもある。さて、このオクタンでなぜ鉄道の話しかというとここにはエットーレ・ブガッティのデザインした車両があったり、当時ミシュランが作った車両やルノーの鉄道部門が開発した車両が展示されているからだ。

ミシュランはタイヤを売り込もうと、車だけでなく鉄道に矛先を向ける。そのため、ミシュランは自ら鉄道車両を開発してまで売り込んだ。結果、現在でもパリの1番、4番、6番そして14番線はミシュランタイヤを履いた車両が走っている。ちなみにミシュランが日本に進出したきっかけは鉄道だったという。
 
フランスの鉄道の種類でオートレイルというのがある。これは連結しないで1両のみで運行、自走する車両で、一般の車両よりも乗客の数の少ない短距離などで運営されている。その中でも観光に特化した車両が1930年代に流行った。フランスは今でもバカンスがとても大事なお国柄だが、そういったバカンスを利用した観光列車として人気を博した。ミシュランの開発したミシュリーヌはその後の観光用の車両をみんながどれもミシュリーヌと呼ぶほどのものとなっていた。


極力突起を減らし平面処理されたのがブガッティらしい顔つき…に見えるだろうか?

 
1932年ブガッティ社はWagon Rapide(高速車両)と銘打った車両を開発。自動車同様エレガントなデザインで前席からの展望を重視し運転席は車両の中央、ルーフの上に窓があるモノとなっている。中央に運転席を配置することで、進行方向が変わっても一カ所の運転席で操縦ができる。エンジンには当時不評だったType47”Royal”の12リッターエンジンを使用し、最高速度はブガッティの車両らしく196km/hを記録した。
 

ルノーVH。1933年から製造されている。


ルノーは1922年から1962年までオートレイルを製造していた。ここに展示されているRenault VHは、量産第一号となったモデルでフランス国内のあちこちで使用された。ディーゼルのV12エンジンで最高速度は100km/h。このモデルは観光用ということではない。
 
フランス特有の鉄道の運営方法から生まれたオートレイル。車と密接な関係で始まるも大戦後、オートリゼーションの広がりで誰もが自動車を所持することが可能になった現代は、消えていってしまった古き良き時代の遺産に出会えたのだった。

写真&文:櫻井朋成 Photography&words: Tomonari SAKURAI

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