「本当の歴史」│フォードRS200が開発されていた当時の内幕話



スチュワートからのメッセージは明確だった。フォードのモータースポーツ部門は今、転換期にある。ウォルター・ヘイズはカール・ルドヴィクセン(当時のフォード・モータースポーツの責任者、現フリーランス・ジャーナリスト)の後釜にスチュアートを据えようとしている。エスコートRS1700Tは終了させ、新しいグループBカーの投入が急務だ。

「今、スチュアートは周りのブレーンになりうる人たちに意見を聞いている。ちょっと話せないか。どう思う?⋯」という問いかけだった。
 
スチュアートとの電話が終わった頃には、私から提供できる考えはほぼすべて伝えきっていた。私の考えが、技術屋的思考回路をもつスチュワートにも充分、伝わったことに秘かなる喜びを覚えた。そして、3日以内にこの夜の会話で出たアイディアを紙にしたため、スチュアートの自宅に届ける約束をした。「会社ではなく、自宅に」だった。


 
スチュアートに伝えた私の考えは12項目あった。後に聞いたところによると、スチュアートが意見を聞いた誰もが「4WD」と回答したようで、私もご多聞に漏れず記していた。そのほか最低でも400bhp、通常の組立てライン外において200台の生産、スター・エンジニアによるコンセプト作りなどの必要性を訴えた。この書類を送ってから1週間後、また電話が鳴った。「新しいマシンに求められる項目は、概ね議論の余地がないと思う。新しいマシンは"B200"と呼ぶことにするよ、グループBマシンで200台限定生産だから。

ただ、ウォルター・ヘイズ以外の上層部にどれだけスペシャルなマシンに仕上げなければならないかということが伝わらない。もし、手元にランチア・ストラトスの写真があれば、送ってもらえないだろうか」という内容だった。私は写真だけでなく、『Autocar』誌が掲載していた透視図もスチュアート宛てに送った。ここから、スペシャルな車の開発が始まり、私の関与が深まっていった。


次回より時系列を追って動きを記してみよう。<続く>

編集翻訳:古賀貴司(自動車王国)  Transcreation:Takashi KOGA (carkingdom) Words:Graham Robson  Photography:Zach James Todd, courtesy of Canepa 取材協力:カネパ・クラシック・アンド・クラシックカーズ(canepa.com )

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