時系列で追っていく!スペシャルな一台 フォードRS200の開発裏話

Photography:Zach James Todd

この記事は『「本当の歴史」│フォードRS200が開発されていた当時の内幕話』の続きです。

著名ライターのグレアム・ロブソンは、RS200が開発されていた当時、フォードのコンサルタントを務めていた。彼だからこそ知る、誕生にまつわる本当の歴史を語ってもらった。スペシャルな車の開発を時系列でご紹介。


1983年2月25日
約6週間にわたって音沙汰がなかったが、突如、フォード・ヨーロッパがモータースポーツ部門の責任者交代の発表をした。前述のとおり、スチュアートが新たに責任者となった。これと同時に、私はフォードのモータースポーツ・ファンやRSディーラー向けのイベントを立案する担当者になった。だが、この時点でB200についての進展は特段、耳にすることはなかった。

1983年3月14日
RS1700T ならびにC100 グループCカー計画の中止が発表された。後にマネージャーを務めたピーター・アシュクロフトから聞いた話によると、朝の役員会で決定し、昼前にはスチュアートから電話があり、現場ではその日のうちにすべての作業が停止したそうだ。メディアの反応は大きく、フォード内部で何が起こっているのか探ろうと躍起になっていた。もちろん、私は内情を知っていたが、誰にも話すことはなかった。

1983年3月28日
スチュアートとの会食でB200の現況を聞く機会を得た。どうやら、ターボチャージャーを装着したエスコートXR3、シエラXR4iの開発には着手済みとのことだった。プラダクト・プラニングを担うマイク・モートンは、粛々と作業を進め誰からも横やりを入れられないような体制が整えられた。
 
マイクは目標を高く設定し、グループBでの活躍にはミドシップ・エンジンの4WDマシンが欠かせないと同意していた。ブラバムに在籍していたゴードン・マーレーに新しいマシンの基本設計を打診したほか、コスワースのキース・ダックワースに4WDテクノロジーについて、元コスワースで自身のエンジニアリング会社を営んでいたブライアン・ハートには、エンジンについてヒアリングしていた。ただ、この間、遅延が発生してしまった。なぜなら、ゴードン・マーレーは基本設計に費やせるだけの時間が割けなかったのである。もっとも、ブラバムのボス、バーニー・エクレストンがこの依頼に乗り気ではなかったということも影響していたであろう。
 
マーレーとモートンは、フォードが自社でホモロゲーション取得のために200 台を生産することは無理だと踏んでいた。コンストラクターの候補として当時、ロータス、ティックフォード、アストンマーティン、TVR 、リライアントが挙がっていた。実際、フォードはすべての候補に声をかけ、全社が興味を示した。なかでもリライアントが声高に興味を示したが、同社はボディ・シェルを製作できるコンストラクターでもあり都合がよかった。



1983年4月28日
フォードはスター・エンジニア探しに苦戦を強いられていた。スチュアートによると、実はゴードン・マーレーは乗り気だったという。だが、それはブラバムを去ることを意味し、エクレストンが承諾するはずもなかった。それでもゴードン・マーレーの優れたアイディアを拝借したいスチュアートとブライアン・ハートは、一晩だけの集中講義を依頼した。ゴードンは、スペシャルなスポーツカーがどう設計されるべきかについてみっちり解説してくれたとスチュアートは後日、振り返っていた。

1983年5月中旬
スチュアートは一流どころのフリーランス・エンジニアに声をかけ、"デザイン・コンペ"をすることにした。具体的にはパトリック・ヘッド(ウィリアムズ)、トニー・サウスゲート、マイク・ローズビー、ジャンパオロ・ダラーラ、デレック・ガードナー、ジョン・バーナード、そしてナイジェル・ストラウドだった。
 
ローズビー、サウスゲート、ストラウドの3名には、フォード・コスワースBDTターボエンジン(200基は白紙になったRS1700Tプロジェクトのために調達済み)をベースにしたさらなる設計プラン立案が求められた。スチュアートが重視していたのは、このB200がデビューと同時にラリー・シーンにおいてチャンピオンシップを狙えるマシンに仕上げることだけだった。

「ラリーで重要なのは視界の確保。寝そべるような"レーシング・ポジション"は不要。同じく大切なのが、フロントウィンドウの角度」とスチュアートは話していた。デザインそのものはギアが担当することから、レースカーとしてのポテンシャルを最大限引き出すことだけにフォーカスしてもらいたかったのだろう。

1983年5月下旬
元F1設計者でフォード・モータースポーツにてRS1700Tの設計に携わってきたジョン・ウィーラーが、B200計画にまったく声がかけられていないことに立腹していると話題になり、彼からの強い要望もあったことから4人目の設計プラン提出者となる。


スチュアートが7月に渡したデザイン案は・・・次回へ続く

編集翻訳:古賀貴司(自動車王国)  Transcreation:Takashi KOGA (carkingdom) Words:Graham Robson  Photography:Zach James Todd, courtesy of Canepa 取材協力:カネパ・クラシック・アンド・クラシックカーズ(canepa.com )

RECOMMENDEDおすすめの記事