35年を経たセナ vs ラウダ│メルセデス・ベンツの「ザ・リターンマッチ」

Photography:Dino Eisele/Mercedes-Benz



それから35年を経た2019年、優勝争いを演じた2台が初めて邂逅した。これはセナがこの世を去って25年目のことだ。奇しくも2019年にはラウダが天国へと旅立っていった。2台を走らせたのはドイツ・ジンデルフィンゲンにあるメルセデス・ベンツのテストコースであった。この歴史的なコースは、いまもSクラスなどが手作りに近い作業で生産される工場や、メルセデス・ベンツの新車を顧客に直接デリバリーするハンド・オーバー・センターなどの建物を縫うようにして存在し続けている。

このうち、セナが乗った1台はレースで勝ってから一度もメルセデス以外が所有者になったことがなく、これまで丁寧に保管されてきた。もしもあなたがシュトゥットガルトにあるメルセデス・ベンツ・ミュージアムを訪ねたことがあるなら、この歴史的な190Eを見かけているかもしれない。ちなみに、オドメーターはまだたったの2000kmで、完全にオリジナルの状態に保たれている。セナ自身は、レースの1年後にブルーブラックの190コスワースを手に入れたそうだ。

読者諸氏のなかには、ラウダが操った190コスワースを目にしたという方もいるだろう。ただし、こちらはレース直後に、ヒューゴボスの後継者であるヨッヘン・ホリーがオーナーとなった。各ドライバーには自分が操った車を購入するチャンスが与えられた(1970年のル・マン24時間でハンス・ヘルマンが極限までプッシュしなかったのは、これが理由といわれるほど当時は一般的な慣行だった)。現在、この1台を所有しているのはスイス人コレクターのダニエル・イセリで、彼は1965年製メルセデス・ベンツO 319というバスを所有していることでもその名を知られている。

「私は長年のF1ファンですし、1984年のレース・オブ・チャンピオンも見ていました。つまり、この車に関してはまさに最初から知っていたことになります。ラウダの190Eについては、ドイツで貴重な車の取り引きに関わっている友人から話を聞いていました。彼によれば、当時のオーナーはオーストリア人のハインツ・スヴォボダという人物とのこと。私は彼と親しくなると、3年前にはニキ・ラウダを連れてハインツのもとを訪れました。車を購入したのは2018年の夏です」と、ダニエルは入手にいたった顛末を語ってくれた。



ラウダと数回会ったことがあるダニエルは、オーストリア人F1チャンピオンが70歳になる誕生日に190コスワースを運転させたいと願っていたが、このときラウダはすでに体調を崩していて、ダニエルの望みはかなえられなかった。

ラウダとの個人的な結びつきを別にしても、ダニエルは190コスワースに対し、1台のレーシングカーとして特別な愛情を抱いていた。「1984年のレースは極めて重要なものでした。なにしろ1955年のル・マンで悲劇的な事故を起こして以来、メルセデス・ベンツのファクトリーがレースに関わったのはこのときが初めてだったのです。私はこの車を"エヴォ・ゼロ" と捉えています。これを足がかりとしてメルセデスはレース活動を再開しました。あのレースを戦ったときの状態をいまでもそのまま残しているのは、セナ車とラウダ車の2台だけといわれています。私はすべての文書や契約書などを保管していて、メルセデス・ベンツからもお墨付きを得ています。ヨッヘン・マスとも親しくしていますが、先日もふたりでこの車を走らせたばかりです」

やがてダニエルは2台の邂逅をメルセデス・ベンツに提案する。私たちがここジンデルフィンゲンにやってきたのもこのためだ。ローチシルバーと呼ばれるボディカラーは2台とも目映いばかりで、カーナンバーやドライバーのステッカーもそのまま残されている。2台は量産モデルと微妙に異なっているが、これはレースに備えて特別なセットアップを施したためだ。

編集翻訳:大谷達也 Transcreation:Tatsuya OTANI Words:Glen Waddington Photography:Dino Eisele/Mercedes-Benz

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