『セイント 天国野郎』でロジャー・ムーアが選んだ相棒 ボルボ P1800の物語 前編

Photography: Evan Klein


 
この時代は通常、自動車メーカーがスターやスタント、そして映画のプロデューサーらに対し、自動車を無償提供(しばしば自分たちの会社の製品を脚本に書いてもらえるよう、多額の金銭を渡すことさえあった)していた。実際、ボルボは協力的であったし、特別な撮影シーンに使われる小道具用の部品の提供さえ行ったが、プロデューサーは、これら1800の代金はきちんと支払っていたという。

この「セイント・ボルボ」たちは、画面に登場する時間に関して言えば、ジェームズ・ボンドの相棒たるアストンマーティンのどの車両よりも長い。世界を救うために、または少なくとも足の長い女性を救うために、車で滑り込んだり、走り去ったりする、さっそうとした姿のテンプラーを映し出さないエピソードを見つけるほうが難しい。例えば、「Invitation to Danger」というタイトルではテンプラーは自ら運転をし、助手席にも乗っている。また「TheFrightened Inn-Keeper」ではマシンは爆破されてもいる。

 
番組は全118話をもって終わりを迎え、ロジャー・ムーアは〝あの〞スパイとなり、NUV 648Eはビル・クルザステック氏のもとに売られた。バージニア州出身の彼は、エンジニアから転身した学校の先生である。1960年代、夜遅くにテレビで「セイント 天国野郎」を見て育った、数え切れないほどのティーンエイジャーの中の一人だった。

「『セイント 天国野郎』というテレビ番組は、私も父も好きでした。私たちはサイモン・テンプラーと彼のボルボの冒険を一緒に見たものです。それから何十年か後、父が我が家に訪ねてきた際には、ビデオテープで一緒に番組を見たほどです。すでに父は亡くなってしまいましたが、私はその頃の時間を今も大切に思っています」
 
製作現場での役割を終えた「セイント・ボルボ」は、1969年から1994年にかけて様々なオーナーの日々の足となって仕えた。そして英国にあるピーター・ネルソンの「カーズ・オブ・ザ・スターズ・ミュージアム」に買い取られた。クルザステックは車の行方は知っていたが、売りに出されることがあるのかどうかはわからなかったという。その後、スコットランドにあったこの施設が閉まることとなり、展示されていた車の何台かはこのボルボを含め、売りに出されることになった。ネルソンはどうしてこんなに価値のある車を売ってしまったのかといえば、もう一台1964年式の「セイント・ボルボ」を持っていて、2台は必要ないと思ったからである。
 
クルザステックはその車を検査に出し、良い知らせと、同時に悪い知らせも受けた。良い知らせは車が正真正銘「セイント・ボルボ」であったということ。悪い知らせとは、ぶつけられたノーズにずさんな修理が施されていた上、あちらこちらをパテで埋められていた。そのため、フルレストアが必要だったが、その費用は決して安いわけはない。しかし、この「セイント・ファン」はあきらめなかった。提示価格4万ポンドに対し何度かのディスカウント交渉を行った上、自分の家の借り換えをした後、このNUV 648Eのオーナーとなったのである。


問題の修復はどのように行われた?・・・後編へ続く

編集翻訳:松尾 大 Transcreation: Dai MATSUO 原文翻訳:渡辺 千香子(CK Transcreations Ltd.) Translation: Chikako WATANABE(CK Transcreations Ltd.) Words: Matt Stone Photography: Evan Klein

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