自動車産業界の重要人物 アレックス・モールトン博士が残した革命

BBC

BMCのための液体式前後輪関連懸架システムと、ユニークなモールトン自転車とで名を成した人物、アレックス・モールトン博士(1920~2012年)の思い出をキース・アダムズが語る。革新的なサスペンションシステムで有名なエンジニアのアレックス・モールトン。50年以上にわたって自動車産業界の重要人物であった彼の名前を最初に世に広めたのは、1959年にBMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)のミニに導入された「ラバー・コーン・サスペンション」である。
 
ゴムをサスペンションに使用するというアイデア自体は新しいものではなかったが、一般的には使われていなかった。モールトンは当初、前後輪連動ハイドロラスティック方式を採用する予定だったが、ミニの発売に間に合わないことが判明し、代わりにゴムを使ったサスペンションの開発に取り組んだのだ。ミニのコンパクトなラバーサスペンションユニットは、暫定的なものだったのである。
 
もともとゴムはモールトン家と縁が深い。モールトン家はチャールズ・グッドイヤーから権利を取得し製造していたゴム製品によって財を成していた。
 
戦後、モールトンは家族の会社の技術部門で働き始め、ゴム中心の車両サスペンションというアイデアを練り始めた。最終的に生産には至らなかったものの、1952年に彼はアレック・イシゴニスがデザインしたアルヴィスTA 175/350のためにサスペンションシステムを考案した。ここからモールトンとイシゴニスとの永い交遊関係が始まった。1955年にアルヴィスを去りBMCに加わった時も、イシゴニスは将来のプロジェクトのためにモールトンとの関係を維持し続けた。
 
1956年、モールトンは自身のエンジニアリング会社を設立し、アルヴィスTA 175/350用に考案したシステムの改良に着手。ハイドロラスティック式はミニのデビューにこそ間に合わなかったが、1962年までにはゴムと液体を組み合わせたサスペンションシステムが開発され、BMCのモーリス1100で初登場を果たした。このシステムはミニ以外にも、オースチン1800やオースチン・マキシにも採用された。その後考案されたハイドラガス・システムは、1973年のオースチン・アレグロに始まりMGFに至るまで、グループの多くの製品で使われた。2002年に最後のMGFが生産ラインから出たときには、MGローバーのエンジニアリング・ディレクターのロブ・オルダカーは、会社の歴史に対する彼の大きな貢献に感謝の意を表した手紙を書いたという。自動車エンジニアとしてのみならず、モールトンはユニークな自転車のデザイナーとしてもよく知られている。

彼は、1950年代終盤に新しく効率的な小径ホイールの自転車の開発に取り組み始めた。1959年、F字型フレームと高圧タイヤを備えた転がり抵抗の低いプロトタイプをラレー社に提案した。しかしラレー社でのライセンス生産を断られたため、逆に意欲をかきたてられたモールトンは、自身でモールトン・バイシクル・カンパニーを1962年に設立。果たして世界最大の自転車メーカーはすぐに屈辱を味わうほど、アレックス・モールトン自転車はヒットした。それどころか、モールトンのあまりの人気に、ラレー社は1967年に製造権を取得する羽目になったのだ。
 
彼はその後も自動車産業とも関わりを持ち続け、2000年代に入っても数々の自動車メーカーでコンサルタントを務めた。また、熱心なファンと会うためには無私無欲で時間を割いた。最期の2012年には、モーリス1100とモールトン・バイシクル・カンパニー両方の50周年を記念した祝賀会を、ブラッドフォード・オン・エイヴォンにある自宅の敷地で行った。このパーティーにはジェームズ・ダイソンやノーマン・フォスターといった人物が出席している。
 
エンジニアリングに対するアレックス・モールトンの貢献は、1967年の英国女王賞や1976年の大英帝国勲章(CBE)の形で認められている。

編集翻訳:編集部 Transcreation:Octane Japan  原文翻訳:木下 恵 Translation:Megumi KINOSHITA Interviewer:Keith Adams

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