圧倒的な速さを見せたブラジル人 レーサー│彼にとってレースに最も重要なのは?

Porsche AG

「レースに最も重要なのは、入念な準備である」。そう言葉を残したのはニュルブルクリンクの “グリーン・ヘル” で CanAm ポルシェを操ったエマーソン・フィッティパルディだ。ポルシェ917⁄10 のステアリングを握ったヨーロッパ・インターシリーズ第二戦は、彼がいう “準備” にうってつけのレースとなった。

27歳にして GPレースを何度となく沸かせてきたブラジル人レーシングドライバー、エマーソン・フィッティパルディは、1970年に23歳という最年少記録でグランプリ初優勝を果たした。その2年後には最年少の F1ワールドチャンピオンに輝いたのだ。この記録は、2005年にフェルナンド・アロンソが破るまで、33年間ものあいだ F1の歴史に刻まれていた。サンパウロに生まれた エモ(フィッティパルディのニックネーム)はカートでレースを始め、F-Vee、F5、F3、そしてヨーロッパ F2 と着実にステップアップしていった。1970年シーズン途中にロータス F1のシートを勝ち取ってから、73年までの3シーズンで安定した成績を残し、1974年からはマクラーレンを駆りチャンピオン争いを続けた。

その頃、フィッティパルディのマネージャーのひとり、ポルトガル人のドミンゴス・ピエダーデが「1000psを誇るポルシェ 917⁄10 をエモに操らせてみてはどうだろうか?」という提案をした。チームのオーナーであったアーヘン(ドイツ)出身のウィリー・カウーゼンは、北アメリカ大陸で開かれていた 1971⁄72 年CanAm シリーズ用に開発された12気筒エンジンを搭載するスパイダーモデルの投入をすぐに許可し、2台所有していた 917のうち1台をフィッティパルディに託したのだった。
 
1971年から73年にかけて、フィッティパルディF1参戦を通じてニュルブルクリンク北コースで習熟を重ねていたが、彼にとっても北コースは手ごわく、準備を怠ることはなかった。「サーキットをもう少しよく知っておく必要があります。ニュルブルクリンクを熟知していると思い込んでいると痛い目にあいますから」と話した。1974 年7月16日のトレーニングが始まると、フィッティパルディはその類まれな才能を発揮し、慣れないマシンにもかかわらず 7分 34秒 30というラップタイムを刻みポールポジションを獲得した。二番手との間に10秒もの差をつける圧倒的な速さを記録した。「917⁄10 の潜在能力を全て出し切ったような気がしなかったのですよ。かなり控えめに走りましたから」と、フィッティパルディは当時を振り返った。

本戦の7 月17日は雨となり、残念ながら優勝は叶わなかった。ウォームアップ走行では 2 気筒に火が入らず10気筒だけで走行することに。さらに決勝ではマシーンのテールが剥がれ落ちそうになるアクシデントに見舞われ、終止トラクション不足に悩まされた。それでもフィッティパルディは 917⁄10で4 位入賞を果たす。彼は懐かしさそうに、「917⁄10 とのランデブーはとても楽しい時間でした」と話した。

オクタン日本版編集部

無料メールマガジン登録   人気の記事や編集部おすすめ記事を配信         
登録することで、会員規約に同意したものとみなされます。

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

RANKING人気の記事