「車の保存のあり方」を教えてくれた│ベルトーネによるアルファロメオ・ジュリエッタ

Photography:Thomas Macabelli, bertone

これは、高名なイタリアのコレクター、コラード・ロプレストが所有する11台のアルファロメオ・ジュリエッタの話である。1台残らずすべて歴史的価値の高い貴重なコレクションについて、マッシモ・デルボが話を聞いた。今回はジュリエッタ・スパイダー・ベルトーネをご紹介。

まずはジュリエッタの歴史から。遡って1920年。ニコラ・ロメオは買収したばかりの会社Anonima LombardaFabbrica Automobili、略してALFAに、自分の姓を付け加えた。こうしてアルファロメオが誕生した。それから30数年後、アルファロメオの技術者がパリに集まった。楽団付きのビストロだったとも、ロシアの詩人を迎えてのパーティーだったともいわれている。
 
そこで誰かが、「ロメオは大勢いるのに、ジュリエッタがひとりもいない」といったことが歴史を変えた。それからわずか1年後の1954年4月、アルファロメオ・ジュリエッタ・スプリントがトリノ・ショーで発表されたのである。
 
めずらしいことに、最初のバージョンはベルリーナ(セダン)ではなくクーペだった。デザインはフランコ・スカリオーネで、グルリアスコにあるベルトーネの工場で製造された。シリーズの中核となるベルリーナは1年後に登場する。発表が遅れたのは技術的な理由からだった。新しい総アルミニウム製の1.3リッターDOHC エンジンは、いまや伝説的存在だが、ベルリーナに搭載するには少々やかましすぎたのである。エンジンの性格を和らげるため、懸命な努力が注がれたが、その点を除けば、実力はクーペが証明していた。
 
社内のプロジェクトナンバーは750で、当初ジュリエッタはシティーカーとして構想されたが、フィアット600の登場によって、アルファ1900のすぐ下のクラスに格上げされた。ジュリエッタは、エンジニアのジュゼッペ・ブッソが生み出した傑作である。指揮したのはオラツィオ・サッタ・プリーガとルドルフ・フルシュカである。極めて先進的な手法で開発され、クーペのスプリントとベルリーナから多様化し、1955年にはスパイダー(デザインはピニン・ファリーナ)が加わった。さらに1957年にはベルトーネがスプリント・スペチアーレを、1960年にはザガートがレース向けのSZを生み出し、カロッツェリア・コッリがステーションワゴンのジャルディネッタを製造した。

イタリアのチューナーやカロッツェリアがこぞって腕を振るったので、ジュリエッタは10年間にわたってイタリアで最も高く評価され続けた。
 


現在もジュリエッタはコレクターの人気が高い。イタリアの建築家でエンスージアストのコラード・ロプレストは、なんと11台も所有している。さらに、1980年代のクアドリフォリオ・オーロのシャシーナンバー1と、ジュネーヴに展示された現行モデルのショーカーも所有している。ロプレストがきっかけを教えてくれた。「10代の頃、家族ぐるみで親しくしていた人がジュリエッタ・スパイダーを所有しており、私はそれに乗せてもらうのが大好きでした。車の収集を始めてから私が最初に購入したジュリエッタは、放置されていたベルトーネ・スパイダーです。誰ひとり見向きもせず、オリジナルかどうか疑問視する人も多かったのですが、それをペブルビーチに出品すると、アルファの2300や2900、33と争ってクラス3位を受賞してしまいましたよ。ジュリエッタには、世界中どこへ行っても訴える力があるのだと悟りましたね」


1955年 ジュリエッタ・スパイダー・ベルトーネ 
アメリカの有名な自動車輸入業者、マックス・ホフマンが、スポーティーでコンパクトなスパイダーを要望すると、アルファロメオはピニン・ファリーナとベルトーネに打診した。ベルトーネが提案したのがこの車だ。製造の契約も狙っていたが、結局わずか2台しか造られなかった。もう1台はホフマンが買い取り、現在はスイスのコレクションに収蔵されている。写真の車はシャシーナンバー1 。驚くほどコンパクトで、今見てもモダンだ。スリムなフロントエンドが、いかにもフランコ・スカリオーネらしい傑作である。アルファの上層部もこれを気に入ったが、選ばれたのはピニン・ファリーナの案だった。理由は単純に量産しやすかったからだ。


 
このシャシーナンバー1は1957年までアルファロメオの元に留まっていたが、単なる中古のジュリエッタとして売却され、イタリアで何度かオーナーを変えたあと、2000年にロプレストが入手した。「購入したときは大勢の友人に笑われました。あの頃は、といっても19年前にすぎませんが、こうした車は不採用のプロジェクトとみなされ、コレクターはプロダクション仕様にしか魅力を感じなかったのです。レストアを始めると、非常にオリジナルの状態で残っていることが分かりました。何層かの塗装の下に最初の2色の組み合わせが見つかり、2種類のシートカバーの下にはオリジナルがほぼ完璧な状態で残っていました。荒削りな溶接を目にしたときは鳥肌がたちましたね。多くのプロトタイプに共通の目印だからです。レストア完了後、2005年にペブルビーチでクラス3位になり、私は最初のトロフィーを手に入れました。この車が保存のあり方について、いかに多くのことを教えてくれたかと考えずにはいられません」


次回は鬼才フランコ・スカリオーネによる一台をご紹介。

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo. ) Transcreation:Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.)  原文翻訳:木下 恵 Translation:Megumi KINOSHITA Words:Massimo Delbò Photography:Thomas Macabelli Thanks to:Swiss Museum of Transport Lucerne, www.verkehrshaus.ch, Serenella Ar

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