「絶対」はない!パリ-ダカール・ラリーで活躍した名車

皮肉な見方をすれば、ポルシェ959がレネ・メッジのドライブによってダカールで優勝したのも、それ以前の優勝車両を思えば当然なのかもしれない。初開催の1979年パリ-ダカール・ラリーのオート(四輪)部門で1位になったのはレンジローバーだ。翌年のウィナーはVWイルティス。ミニ・モークに似た不格好な小型軍用車両だった。
 
翌年、レンジローバーが再び優勝し、それに続いたのは、おもしいことにルノー20だった。このマシンそのものを覚えている方はおそらくいないだろうが、ルノー20 4×4ターボならば街で見かけたことがあるはずだ。当時の走行風景をYouTubeで見ることができれば、当時、そして今も、ダカール・ラリーがいかに難しく危険で、勇ましく常軌を逸したものかがよく分かる。
 
5回目の1983年ダカール・ラリーは、メルセデスGワゴンが優勝、6回目がポルシェ953(実質4×4の911)、7回目が三菱パジェロだった。この優勝が、959のものになるはずだったのだが、ダカールに「絶対」はないのだ。そして翌86年に、ポルシェ959が1-2を飾った。
 
グループBは、86年末でWRCから閉め出され、そのためダカールは、開発費用を正当化したいパワフルな4WDマシン群にとって、その実力を披露できる数少ない舞台の1つになった。続く4年間に圧倒的な強さを見せたのは、プジョー205T16、続いてプジョー405 T16だった。そのバトンをシトロエンが受け取り、ZXがその後6年間で4勝を挙げている。
 
シトロエンが取りこぼした2年間に優勝をさらったのは、年々洗練されて速さを増していた三菱パジェロだった。事実、パジェロは1997年以降ダカールを席巻し、1999年と2000年にシュレッサー-ルノー・バギーが優勝した2回をのぞいて、トップに君臨し続けたのだった。

編集翻訳:堀江 史朗 Transcreation:Shiro HORIE 原文翻訳:木下 恵 Translation:Megumi KINOSHITA Words:John Barker Photography:Malcolm Griffiths & McKlein

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