北へ、南へ、シトロエン2CVと30年│第2回:30年前、なぜ2CVを買ったのか その②



そのなかで最初に脱落したのはローバーミニだった。友人が持っていたミニはゴーカートのようにキビキビ走ったが、恐ろしく乗り心地が悪かった。踏切を渡ったとき、この車で長距離ドライブをするには自分のお尻の肉は少々薄すぎると文字どおり痛感した。

次に候補から落ちたのはユーノスロードスターだ。ロードスターの走りは素晴らしかった。人馬一体とはこのことか!とわかったような気がした。しかし、一方でロードスターに乗るのは少々恥ずかしかった。筆者は実家暮らしだったので、小学校や中学校のときの友達にロードスターを乗り回しているところを見られたら、後ろ指を指されそうな気がした。カニ目やMGなどの英国のライトウエイトスポーツカーが好きなんだ、エンスー的選択なのだ、と主張しようとも、ロードスターからは「モテたい」という気持ちが滲み出てしまう気がした。

最後まで残ったキャトルと2CVは、幸い同じ並行輸入店が扱っていたので比較試乗することができた。キャトルは想像以上に良い車だった。4気筒エンジンはスムーズだし、ステアリングもそんなに重くなく、ミニとは比較にならないほど乗り心地が良かった。一方の2CVは、キャトルに比べるとエンジンはうるさく圧倒的に非力だった。ドアからシートまで何もかもが薄っぺらで頼りないボディは段差を越えるたび、あちらこちらからガタピシ音がした。

しかし筆者はその場で2CVを買うことに決めた。白いスペシアルは日本にあと2台しか入ってこないですよ、と告げられたことが結果的には勝利打点となったが、そもそも2CVが一番気になっていて、デートカーとしても最高の選択肢であると確信していた。買っても大丈夫なのか、もう少し設計の新しいキャトルの方が安心なのではないか、という迷いは2CVに試乗してみて払拭された。これなら、たぶんなんとかなる。

2CVは見た目も中身もこのうえなくヘンテコだ。説明不要でBMWヒエラルキーの外側にいる「変な車」だということを女の子にも理解してもらえるだろう。巷に流布されていた数多くの壊れる伝説のおかげで、モテたいと思うミーハーな人が手を出すには2CVはあまりにハードルが高いのも好都合だ。そして「ヨーロッパでは、2CVは成功しそうな若者が乗る車というイメージがある」という主旨の素敵な記述も何かの雑誌で読んだ。成功しそうな若者、なんと素敵なイメージだろう。これこそ究極のモテ車だ。

1990年の7月末、2CVを世田谷の販売店から引き取った日のことは今でも鮮明に覚えている。家に向かって環八を走りはじめてすぐ、そのロードホールディング性の高さに感嘆した。これがシトロエンか、なんと素晴らしい車なのだろう、と思ったのは一瞬のぬか喜びだった。

環八の田園調布の交差点を右折しようと一時停止したら、ストンとエンジンが止まってしまったのだ。セルを回してもなかなか再始動しない。後になって判明したのだが、うちの2CVはキャブレターの燃調が濃かったようで、夏時期のエンストや暖気後の再始動にはこの後しばらく悩まされた。


最終90年モデルの証「AM90」。その上の4685が製造日を表すORGA(オーガナイゼーション)ナンバーとなる。「Citroën Production Date Calculator」によれば1989年9月6日生まれだそうだ。EWThsはカラーコード。サビ防止のサーフェーサーがそのままなのは並行輸入車ならでは。

家に帰り着いて改めて愛車となった2CVを眺めていたら、フロントバンパーにサビを発見した。慌てて自動車用品店でサビ止めを買い、その足でコイン洗車場に向かった。うちの2CVは最終の90年モデルだが生産されたのは89年の9月だ(とうことは後にORGAナンバーから知った)。その後、どのような流通を経たのかはわからないが、手元に来るまでの10ヵ月間、港や船やストックヤードで潮風や雨にさらされていたのかもしれない。かわいそうに。

とはいえ、買ったばかりの新車にサビ止めを塗っているのは、やはり何かがおかしいのではないだろうか、30年前の夏の夜にそう思った。

文・写真:馬弓良輔 Words: Yoshisuke MAYUMI

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