日本の若者がかつて挑んだ大きな夢│1970年代に作られた日本製のF1マシン MAKI F101

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日本の若者たちが大きな夢を描いて世界のモータースポーツに挑んだ成果を振り返る。2014年のグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードで日本車両としてはただ1台、招待出走が許されたマシンがあった。それがMAKI F101というF1マシンである。1970年代にレーシングカーデザイナーの三村建治、そしてシャシー設計は三村ともエバなどで実績を重ねた小野昌朗など、ある意味天才かつ血気盛んだった20代の日本の若者が中心になって、世界のモータースポーツに挑んだ、その“作品”といえる。
 
フォード・コスワースDFVを搭載したMAKI。その外観はある種異様である。フロントノーズはタイヤを覆うほどの高さが確保されており、そこからリアに掛けて全幅はとてつもなく広く、車両規定一杯まで踏ん張っている。イエローカラーのウインドウスクリーンがセンターから立ち上がり、中央には巨大なエアボックスがそびえ立つ。ちなみに写真のモデルは初期のF101である。
 
さまざまな課題を抱えながら改良を重ねたMAKI。F1実戦への挑戦は1974年のシリーズ第10戦イギリスGPだったが結果は予選落ち。続く第11戦西ドイツGPでは、公式予選中にマシントラブルが発生してコースアウト。ドライバーのハウデン・ガンリイ選手は両足骨折の重傷を負った。初年度はこの2戦でF1への挑戦は終わる。
 
翌1975年は F101Cと呼ばれるシチズンカラーの車で、オランダ、イギリス、ドイツ、オーストリア、イタリア GP に参戦。ノンチャンピオンシップ戦のスイスGPでトニー・トリマーが 13位完走、そして1976年のF1 グランプリ・イン・ジャパンにF102Aで参戦したが、残念ながらこの凱旋も予選落ちで終わってしまっている。


 
グッドウッドでは多くのジャーナリストや観客がMAKIのブースに立ち寄り記念撮影を楽しんでいた。中には「生きているうちにMAKI F101が走るシーンを目にすることはないと思っていた」と驚喜する英国人もいた。出走にあたっては、当時のドライバーであるガンリイ氏が祖国ニュージーランドから駆け付けていたほど。彼は当時も今も、このMAKIとの関係を真摯に大事にしているという。
 
ちなみにこのマシンは、長野県のあるカー用品店に外看板のディスプレーとして吊るされていたものを、このプロジェクトオーナーである栃林昭二氏が引き取り、広島地元の工業高校生とともにレストアを施してここまでの状態に仕上げたもの。まさか、このF101というマシンが英国に戻ってくるとは誰も考えもしなかったかもしれない。
 
ただ、そういった熱き大人たちの「本気の遊び」をしっかりと受け入れてくれる環境こそが、英国の偉大な文化であり、グッドウッドという舞台の奥行の深さなのかもしれない。

オクタン日本版編集部

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