車と共に駆け抜ける。そんな生き方の手本 松田芳穂

Photography: Ryota SATO


 
ここで誤解のないようにお伝えしたいのは、松田氏が「ポルシェに飽きた」や「ポルシェが嫌いになった」ということでフェラーリに傾倒したわけでは決してないということだ。松田氏が初めてのフェラーリとして選んだのは512BBと365GTB/4(以下デイトナ)。実際にステアリングを握って走らせてみたら、そのエンジンサウンド、走り、速さ、すべてに心を奪われしまったという。フェラーリというブランドについて調べを進めていくにつれ、レースヒストリーに多くの伝説を残してきているだけでなく、エンツォ・フェラーリ自身も様々なヒストリーを歩んできている人物であることを知り、より深くのめり込んでいった。昔から美しいデザインで評されるフェラーリだが、松田氏にとっては何よりも速さこそが魅力であったという。


 
ここで、松田氏のフェラーリコレクションを少し見てみよう。512BB 、F40や250TdFに加え、はじめて所有したデイトナは1968年のパリ・サロンでデビューを飾った車両そのものだ。さらには、現在では20億円以上で取り引きされる250 GTOを4台同時に所有していたこともあった。それだけでも次元の違う話ではあるが、このような宝といえる車で、松田氏は国内外問わずラリーやサーキット走行に自走で参加していた。日本国内でいえば、1984年より開催されていたフェラーリ348チャレンジに挑み、表彰台に上る成績を収めたこともある。イタリアで開催される「世界で最も美しいラリー」と言われるミッレミリアには1994年から1997年まで連続で参加していた。1994年は250TdF(ツールドフランス)、1995年以降は250TR(テスタロッサ)で参加。はじめてミッレミリアに出場した時、イタリアの美しさ、その中の公道を走り抜けていく車の姿にすっかり魅了され、どれほど全開でスロットルを回しても追いつくことのできない、周りの参加者たちにも驚かされたという。

1997年と1999年にはカリフォルニア・ミッレにも250TRで出場している。1997 年と2002 年には、フランス・パリで開催されたGTOツアーに参加。美しい街並みを世界中から集まった250GTO が並んで巡る圧巻の光景が繰り広げられた。


 
こんなエピソードもある。ツアーを終えて迎えた朝、聞きなれない音がすると目覚めてみると、外にはジェット機がたくさん停まり、他の参加者はほとんど姿を消していた。なぜかといえば、他の250GTOオーナー達は"仕事があるから"と車を置いて自家用ジェット機で早々にそれぞれの国へ帰路についていたのだ。そんな浮世離れした思い出の数々もあるが、多くの危険な体験もしてきている。ラリー中に崖から転落し、気を失うということも1度に限らず経験してきたというのだ。話を聞いていると、冷や冷やしてしまうものもあるが、当の本人である松田氏はおもしろおかしく、楽しそうに回想する。車へのガッツには驚かされるが、そもそもサーキットで2度ひっくり返った経験もあるのだと思うと何ら不思議ではない。
 
フェラーリを愛するということは、エンツォ・フェラーリを尊ぶということも意味する。松田氏も例外ではなく、1986年にエンツォと面会するという好機を得た。

オクタン日本版編集部

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