フェラーリ専門ショップを決意するまで│雑誌で見たテスタロッサの低さがナカムラの人生を変えた

ナカムラエンジニアリングは25年前の創業当初からフェラーリ専門のファクトリーだったわけではない。"街のガイシャ整備工場のオヤジ"に転機が訪れたきっかけは何だったのか。創業から四半世紀が経ったいま、その歴史と信念をあらためて振り返っていこう。

20代前半のころのナカムラ青年(ナカムラエンジニアリング代表の中村一彦)はレーシングドライバーを目指してスズカに通っていた。物心ついた頃から将来の職業はレーサーだと決めていたからだ。
 
ところが全財産を注ぎ込んで参加したシングルシーターのRS(レーシングスポーツ)カテゴリーで全く芽が出ることなく、しかも4戦目で参戦資金が尽きてしまう。ナカムラ青年の凄いところはそこで未練がましくサーキットを振り返るのではなくスズカ通いもすっぱりと諦めたことだった。そしてもうひとつの、もう少し現実的な夢= "クルマ屋のオヤジ"を目指すことに集中し始める。 

とあるショップで修行したのちの平成7年、30歳の年にナカムラエンジニアリングを創業した。とはいえ初めからフェラーリ専門のファクトリーだったわけじゃない。当初はガイシャが得意な街の自動車整備工場だった。


1995年に創業したナカムラエンジニアリング。創業当初は輸入車全般を扱う街の整備工場だった。社長の中村一彦はこのファクトリー内に間仕切りされた一室で生活しながら仕事に勤しんだ。写真はフェラーリを扱い始めた初期の頃の様子。
 
ナカムラはスーパーカー世代だ。けれどもバイクや車に乗って楽しむほうを好んだ。だからフェラーリは雲の上の存在だった。それよりもポルシェに乗りたいと思っていた。
 
創業して間もなくポルシェ911が入庫する。触ってみると自分が思っていたようなスポーツカーではなかったことに愕然とした。突然、ナカムラは夢を失った。そんなとき雑誌で衝撃的な写真を目にする。フェラーリテスタロッサの低く幅広い勇姿だった。
 
実はナカムラは創業間もない頃から仕事のあり方に疑問を持っていた。腕の良さを聞きつけた客がメルセデスやBMWで沢山やってくる。それはそれで有り難い話だった。けれどもガイシャとはいえドイツ車あたりはあくまでも実用車で、日々乗る車だ。いきおい、車検や整備も手早く効率よく片付けていく必要に迫られた。もっとじっくりと整備に向き合う仕事がしたい。いつしかナカムラはそう思うようになった。満足のいくまで車と向き合い、心から喜んでもらえるような良い仕事ができたなら……。

文:西川 淳 Words: Jun NISHIKAWA

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