独占インタビュー!マツダ MX-5の生みの親のひとり 俣野努氏に聞く開発の舞台裏

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彼らのそれほどの情熱にもかかわらず、ライトウェイトスポーツプロジェクトは予め約束されていたものではなかった。「もしも当時R&Dのトップだった山本健一さん(元社長・会長)が"感性エンジニアリング"というビジョンを掲げなかったら、そして顧客がいる地域にスタジオを作らなかったら、この車は生まれなかっただろう」と俣野は振り返った。

「さらに、もしボブ・ホールが山本さんと会わなければこの計画は実現しなかったし、もし私がLAオートエキスポでボブに出会っていなければ、その10年後に彼に呼ばれることもなく、マツダのアーヴァイン・スタジオに加わることもなかったろう。もし私たちがLWSプロジェクトの提案をもう一年先延ばししていたら、結局機会を逃し、こうして30周年を祝うこともなかっただろうね」
 
幸運なことに星々は一直線に並んだ。「プリプロダクション・プロトタイプに試乗した時が一番誇らしかった」と俣野はいう。「ボブとノーマン・ギャレットが車を仕上げてくれた。私は主に心理的な側面、たとえばステアリングホイールのリム径は、シフトノブを握っているのと同じような感覚を与えるべきだとか、パワーは回転計の針の動きと同調してリニアに盛り上がるべきだとか、そういうものを担当した。たとえ毎日の通勤の時でも、よりチャレンジングなルートを選びたくなるような、寝る前にはおやすみと声をかけたくなるような、そういう車にしたかった。いつかレストアしたくなるかもしれないし、自分の子供に譲り渡すかもしれない。そのすべてがあのプロトタイプに詰め込まれていた」
 
彼は今も自分の夢を生きている。「1989年の8月に買ったマリナーブルーのミアータを持っていたんだ」と彼は笑った。「しかし、私には内装をレザーにしたいという密かな希望があり、白髪交じりの髪の毛に似合うようなライトグレーのソフトトップとレザー内装を手に入れて、それにぴったり合うボディカラーが出るのを待ったんだ。1996年式Mエディションのスターライトマイカブルーが完璧だと思った。今もそれに乗っているよ」

編集翻訳:高平高輝 Transcreation:Koki TAKAHIRA Words:Dan Trent

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