「優れた技術」なしに語ることはできないアルファロメオと技術の歴史

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アルファロメオの歴史を、「優れた技術」なしに語ることはできない。レーシングマシンがもちろんのことだが、ここではアルフェッタに用いられた技術を中心にその変遷を辿る。そこから見えるのは、根底にあるアルファロメオの魅力である。

アルファロメオの史実の中に登場することが多いエンジニアを列挙してみると、創業当時のジュゼッペ・メロージから始まり、ヴィットリオ・ヤーノ、ジャッキーノ・コロンボ、ブルノ・トレヴィザン、ウルフレート・リカルト、オラッツィオ・サッタ・プリーガ、ルドルフ・フシュカの名が浮かぶ。これら偉人たちは、まだ自動車が個人の牽引によって開発されていた時期に活躍し、歴史に残る作品を残した。
 
ここでは、アルファロメオにとって第二次大戦後のマイルストーンとなったモデルを手掛けた、オラッツィオ・サッタ・プリーガとルドルフ・フシュカの技術に焦点を当てた。
 
1938年に入社したサッタは、GPカーの158"アルフェッタ"とその発展型である159の開発を担当し、1950年と51年にドライバーズ・タイトルをもたらした。市販車では、アルファロメオが量販メーカーへと大転換を図った際に投入された1900を手始めに、ジュリエッタ、ジュリア、2600、1750、モントリオール、アルフェッタなどをマネージングダイレクターの立場から手掛け、それはSZやTZ、Tipo33などのレースモデルもおよぶという、まさに八面六臂の活躍ぶりであった。

サッタが関与した市販車の中で、1972年にデビューした4ドアベルリーナ(74年にクーペのGTを追加)のアルフェッタは、彼が技術的な理想を追い求めた結果といえよう。なぜなら、実用的な乗用車にもかかわらず、トランスアクスル方式を採用し、後輪懸架をド・ディオン式としたことであった。設計者が求めたものは、前後軸重配分を50:50の均等化することが可能で、ばね下重量が軽く、またタイヤが常に路面に対して垂直に接するド・ディオン式を用いて、操縦性を向上させることであった。



しかし、クラッチをトランスミッション、デファレンシャルと一体化してリアに配置したことで、フロアトンネル内を通したプロペラシャフトが常にエンジンと等速で回転し続けて、振動を発する原因になった。また、クラッチやギアシフトの操作系の設計がむずかしくもなった。なによりの難点は、構造が複雑になってコストが嵩むことであった。アルファロメオファンはその素晴らしい操縦性と乗り心地の両立を喜んだが、経営的には問題作であったことは想像にかたくない。だが、優れた運動性能を得ることを目的にして、それがたとえ実用車であっても、技術的な理想を追い求める姿勢がアルファロメオの根源的な魅力の起点であることは間違いない。
 
アルフェッタと同時期に誕生したアルファスッドもまたそうであった。アルファロメオにとって初となる量販小型大衆車であり、未知の前輪駆動への挑戦であった、だが、新工場建設から新車の開発までを率いたルドルフ・フシュカも、無難な策を選ばず、理想を追った。彼は自らが積み上げてきた技術的知見を元に、水平対向4気筒エンジンを新開発し、それまでの前輪駆動車では得られなかったスポーティーなハンドリング特性を備え、居住性に優れた小型車を完成させた。アルファスッドもまた高コスト体制であり、アルフェッタ同様に初期の品質問題が足枷となって、アルファロメオの財政的体力をうばっていったことが惜しまれる。
 
アルファスッドは同社の前輪駆動の祖と言われることはあるが、フィアット傘下に入ってから登場した前輪駆動車では、フィアットが培ってきた横置きエンジンによる、ジアコーザ方式と呼ばれるレイアウトを採用しており、技術的な関連性はない。だが、乗ってみると、そこにはアルファロメオらしいテイストが感じられる。これこそ、積み重ねられてきた数値化できない技術ノウハウの賜なのであろう。

文:伊東和彦(Mobi-curators Labo. ) 写真:FCA  Words:Kazuhiko ITO(Mobi-curators Labo. )  Photography:FCA

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