愛され続けるレカロシートが誕生するまで│サッカーチームにも提供していた?

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しかし第二次世界大戦により、同社に多大な悪影響が生じる。後継者になるはずのオットー・ロイターがロシアで命を落としたうえに、空襲により主要な工場は壊滅状態であった。また、取締役のアルバート・ロイターと、義理の息子でもあった幹部のテオドール・コックも、同じ空襲による傷病が続き死亡した。
 
戦後は、郵便集配車やバスの車体の注文があり、非常に衰えていた同社もなんとか存続していた。そんな折に登場したのがポルシェ356 だ。ロイターは常に車体内部の装備を重視してきたが、特にシートを得意分野としていた。356 の快適なフルリクライニングシートは、自動車ジャーナリストや顧客から絶賛された。
 
前述のとおり、時代がエンジン製造を主体とする自動車メーカーから一貫生産に変化していたことを見据え、ロイターはそれまであまり重視されることのなかった“シート”に目を付け、より一層インテリア特にシートに専念することを決意した。(この時の想いが一貫生産および生産体制の拡張を望む、ポルシェ社と利害関係が一致した)しかしシート部門のみを独立させ、『レカロ』の社名で存続させることを選んだ。エキゾチックなイタリア語の様だが、実は"REutter"(ロイター)と"CAROsserien"(車体製造)の略語である。言うまでもないが、最初の大口顧客はポルシェ社だった。同社へのシート提供は1997年まで続いた。
 
1965年のフランクフルト・モーターショーで、"Sportsitz"バケットシートが公開された。独特の千鳥格子模様(呼称:Pepita)が特徴で、新型の911に最初に装備された。レカロは、非常に魅力的なアフターマーケット・シートとして、また多数の欧州メーカーのトップレンジのオプショナルパーツとして、急速に認知されていく。あらゆる年齢の車好きたちがすぐにレカロに飛びつき、"ほかとは違う良さ"を自慢した。その間、レカロはモーターレース業界で事実上の定番シートとなりつつあった。最初のシェルシートが1967年に、最初の(カーボン)ケブラーシェルシートは1974年に発表された。
 
1990年代には、予期していなかった新たな商機も現れた。レカロ社の次期オーナーとなったウルリッヒ・プチが、(サッカークラブ)FC カイザースラウテルンの役員を兼任していた際、腰痛に悩むチームマネージャーのために試合専用のハイバックのスポーツカーシートを提供したのだ。するとすぐに、チーム全員が自分専用のレカロシートをほしがった。さらに、ヨーロッパ中の他のトップチームもそれに倣い、同社ブランド浸透の新たな好機となった。
 
2020年よりアディエント社から独立。レカロオートモティブ社として、レカロの製造拠点、従業員そのままに今もなお変わることなくレカロブランドを冠する自動車シートを開発・製造・販売を行っている。今やレカロは車好きのものだけではなく、長距離トラックのドライバーにも提供されている。そしてレカログループは多様化し、航空機用のシートやe スポーツ(エレクトロニック・スポーツ)の分野にも進出している。
 
レカロに年齢制限はないようだ。まさに男性的な趣味そのものだが、車好きのパパたちが、自分のスポーツカーの後席用にロゴ付きのチャイルドシートを購入している。そしてまた、子どもをレカロブランドの四輪車(実は八輪)…、つまりベビーカーに乗せるのだ。

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo. ) Transcreation:Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.)  原文翻訳:東屋彦丸(BE-TWEEN ) Translation:Hicomaru AZUMAYA (BE-TWEEN)  Words:Delwyn Mallett

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