姿を消していた伝説のポルシェ930ターボ│1975年ル・マン24時間から始まるヒストリー

Photography:Jonathan Fleetwood

1975年に新設されたGTXクラスを初制覇したポルシェ930ターボ。その後ヒルクライムで活躍したものの、やがて人知れず世間から姿を消していた。そのポルシェが長い時を経て私たちの前に姿を見せた。その間の軌跡を追う。

舞台は1975年ル・マン24時間。それまで勝利をほしいままにしてきたポルシェだったが、1972年からの規則変更によりモンスター917はスポーツカーレースの世界から排除され、代わって3リッター スポーツプロトタイプが覇を競うようになり、ポルシェは一気に主役の座から引き降ろされていた。時代遅れの908/3ではフェラーリ、マートラなど強力な最新プロトタイプ勢に歯が立たなかったのである。

この1975年もポルシェにとって芳しい成果は挙げられなかった。ジョン・ワイアはポルシェのレーシングプランから外されると、その後自ら仕立てたガルフ・ミラージュGR8でル・マンに再挑戦、1975年はイクス/ベルが優勝、シュパンとジョッソーが3位を獲得と、見事リベンジを果たすことに成功した。2位に入ったラフォッスとシャリュイが駆るリジェJS2 と合わせれば上位3車はどれもコスワースDFV搭載車であり、この年のポディウムにはマシーンもドライバーもポルシェに関与するものはいっさいなかったである。


 
最上位のポルシェはといえばヨーストからエントリーされた908/3が4位、5位から11位はカレラRSRやRSが独占したのだが、実際には何の慰めにもならなかった。では本当に1975年のル・マンはポルシェにとって悪夢のレースだったのか。答えは否。じつはサクセスストーリーもあったのである。
 
1975年はル・マンにGTXクラスが新たに設けられた年である。GTXとは西部自動車クラブ、すなわちACOが考案したカテゴリーで、"ル・マン・グランドツーリング・エクスペリメンタル"を意味する。ホモロゲートされていないパーツを使用することが認めらる比較的制限の緩いGTクラスだ。ポルシェはさっそくここに新型車930ターボを送り込んだ。新設クラスだけに参加者は少なく、ポルシェのほかにNARTから2台のフェラーリ365GT4/BBがエントリーされたが、本レースに出走したのは930ターボ1台のみであった。無事に走ってクラス優勝を果たしたのは当然としても、総合で15位を得ていることを知れば、完走目的でのんびり走ったわけでないことがわかる。この930ターボはマックス・クレイという人物の所有車で、スイスのポルシェ・クラブ・ロマンドというチームからエントリーされた。

ドライブしたのはクロード・アルディ、ベルナール・ビギャン、ピーター・ツビンデンの3人である。エンジンは水平対向6気筒3リッター仕様にボッシュの燃料噴射、KKK製ターボチャージャーを備えたもの。いきなり臨んだ予選では44位だったものの、レースではトラブルなく291周を走り切り、総合でも上位を獲得したことは褒められてしかるべきだろう。あまり知られていないが、ポルシェ初のターボ車によるウィナー(もちろんクラスウィンではあるが)でもあるのだ。


 
結果は結果で立派だが、もっと称賛されるべきは、ショールームからいきなりサーキットに連れ出された一般のロードカーであったことだ。それが充分に準備されたGTクラスの車を相手に11位争いまでしたのである。何度かのブレーキトラブルに見舞われなければもっと上位でフィニッシュできたはずである。ちなみに、ブレーキは24時間の間に3回以上交換されたのだが、最後のワンセットは手持ちが尽きてしまったため、サルテの駐車場に駐まっていた観客の911Sから借りて対処したという。ここで相当の時間を浪費したのは想像に難くない。


930ターボの果たした役割とは・・・次回へ続く

編集翻訳:尾澤英彦 Transcreation:Hidehiko OZAWA Words:James Elliott  Photography:Jonathan Fleetwood

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