ポルシェ 930ターボの強さ│姿を消していた一台のヒストリーを辿って

この記事は『姿を消していた伝説のポルシェ930ターボ│1975年ル・マン24時間から始まるヒストリー』の続きです。

ところで初年度のGTXクラスに、エントラントはどう対応したのだろうか。フェラーリ、NARTなどは1年間を通じて活動しているから突然のこうした事態にも対処できたかもしれないが、もう1台エントリーしていた個人参加のランボルギーニなどはかわいそうに予選すらクリアできず、また2台のGTXフェラーリも本レース出走は叶わなかった。このことは特記しておく必要がある。


930ターボの一人舞台になってしまったのにはこうした経緯による。この930ターボにしたところで、エントラントはスイスの小さなガレージにすぎず、弱小チームではワークスと違ってレースを戦うにあたって誤った判断をしがちになるものだが、ドライバーのアルディが事実上のチームリーダーになったことですべてがうまくいった。他の追随を許さないほどル・マンにおける経験が豊かだったのだ。



彼のル・マン出場は1968年に始まり、1993年までに22回も参加している。そのうち14回はポルシェに搭乗しており、1973年と1987年の2回はワークスからの出場である。また、自ら所有する911Sを駆ってヨーロピアン・ヒルクライム・チャンピオンシップを獲得したこともある。ル・マンを熟知し、ポルシェにも精通していたからこそ、930ターボを初の24時間レースでありながらフィニッシュラインまで無事に導くことができたのである。
 
ル・マンのGTXクラス優勝を果たす前、この車は発表直後のジュネーヴ・サロンでポルシェのブースを飾ったことがある。13番めに生産された930ターボで、スイス向けの車としては最初の1台だった。ロードカーとしてもレースカーとしても公式には911ターボと呼ばれることになる930ターボだが、1960年代に始まるターボ技術の開発を推し進めたこの会社の先導的役割を担っていたのは、他ならぬ930ターボだったのである。

編集翻訳:尾澤英彦 Transcreation:Hidehiko OZAWA Words:James Elliott  Photography:Jonathan Fleetwood

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