祝!佐藤琢磨選手インディ500、2度目のV|20年来寄り添うジャーナリストが贈る「琢磨君」への心からの賛辞

Photography: Kazuki SAITO

そういえば琢磨君にまだ「おめでとう」と言っていなかったなあ。あ、2度のインディ500チャンピオンのことを「琢磨君」なんて慣れ慣れしく呼んでゴメンナサイ。でも、彼とは公私ともどもかれこれ20年以上のつきあい。おまけに、馬齢だけは私のほうが重ねているもので、失礼を承知で普段から琢磨君と呼ばせていただいています。でも、私は20年前から、ずっと彼のことをリスペクトしていました。いまもそうです。そして、これは本当のことです。



でも、そんな琢磨君もF1界ではあまり評価されなかった。ヨーロッパのF1ジャーナリストたちが彼のことを「壊し屋」みたいに言っているの、何回も聞いたことがあります。そのたびに、私は歯がみをする思いでした。



たしかにF1時代の琢磨君はアクシデントやクラッシュが多かったかもしれない。でも、それは彼自身の溢れ出るようなファイティングスピリットからしてしょうがないことだったし、彼にはどうしても自分自身の能力を明確に証明しなければいけない、やむにやまれぬ事情があった。特にBAR時代はチーム内の政治に巻き込まれてひどい仕打ちを受けていたから、なおさらでした。そんなこと、琢磨君は決しておおやけにしなかったけれど、それはそれは悔しい思いをしていたはずです。

でも、そういう外的要因(これ、琢磨君がよく使う言葉です)を別にしても、F1時代は彼の闘争心と熟練度のバランスがとれていなかったように思います。別の言い方をすれば、闘争心が先走っちゃって熟練度が追いつかなかった。おかげでアクシデントやクラッシュが多かったのです。

これがF3だったら、闘争心が先走っちゃうくらいでいいんです。それでライバルたちを置き去りにできれば、多少熟練度が不足していたってチャンピオンになれる。でも、世界最高峰の速さを持つうえに老獪さでもズバ抜けているF1ドライバーを相手に同じことをやろうとすれば、必ずしっぺ返しをくらいます。

フロントロウからスタートした2004年のヨーロッパGPが、まさにそうでした。最後のピットストップを終えてフェラーリのルーベンス・バリチェロに続く3番手を走行していた琢磨君は、フレッシュなタイヤを利してオーバーテイクを仕掛けたところ、これがバリチェロの誘ったワナで、あっさりフロントウィングを踏まれておしまい。あんなドライバーがウヨウヨいるのがF1界だから、純粋な速さだけで勝とうとしたって無理がある。そんなひたむきさが、F1時代はむしろアダになっていたような気がします。


その後、BARを放り出され(あれもひどかった!)、スーパーアグリは財政的に行き詰まり、トロロッソでまたまた政治に巻き込まれてシートを獲得できなかった琢磨君がインディカーを目指したのは2010年のこと。いまからもう10年も昔の話です。最初の2年間はKVレーシングで下積み生活を送ると、2012年に現在と同じレイホール・レターマン・ラニガン・レーシングに移籍。この年、琢磨君はインディ500の最終ラップでダリオ・フランキッティとトップ争いを演じ、老獪なフランキッティによってスピンに追い込まれたことは皆さんもご存じのとおり。しかもこの年の終わり、チームオーナーのレイホールは息子グレアムを受け入れるためにやむなく琢磨君の放出を決めたのです。





文:大谷達也 Words: Tatsuya OTANI 写真:斉藤和記、INDYCAR Photography: Kazuki SAITO, INDYCAR

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