ラグジュアリーGTのベンチマーク│ベントレー フライングスパーの歴史

ベントレー フライングスパーの輝かしい歴史は1952年にさかのぼる。チーフデザイナーのJ.P. ブラッチリーとエンジニアのイヴァン エヴァンデンが、ベントレーをグランドツーリングの頂点に戻すための非公式プロジェクトに協力したのである。彼らのデザインは、ベントレーの180bhpの4.9リッター直列6気筒エンジンをベースにしていたが、1959年に6320ccのV8エンジンに置き換えられた。

Rタイプ コンチネンタル クーペはH.J.マリナーがデザインした洗練されたボディワークと時速100マイルで一日中クルーズできる性能で大好評を博した。続いて登場したS1クーペは、Rタイプの多くのコンポーネントを共有しており、S1セダンがその後に続くことは明らかだった。ベントレーはS1に標準的な4ドアセダンボディを提供し、約3000台が生産された。S1の発売から半年後には、より軽量なコーチビルドのボディを使用した改良型コンチネンタルバージョンが登場。

H.J.マリナーは、純正4ドアの代替として、コーチビルドの4ドアS1コンチネンタルの小さな、しかし目の肥えた市場があるだろうという予想をしていた。彼らのデザインは、バランスのとれたエレガントなもので、4人乗りのための十分なスペースを備えている。新しい4ドアは、H.J.マリナーのマネージングディレクターであるアーサー・タルボット・ジョンストンが、彼の一族であるスコットランド・ボーダーズ地方のクラン・ジョンストンの紋章にちなんで命名した。

最初のモデルでは、ラジエーターグリルにクラン・ジョンストンのマスコットであるスパーが描かれていた。HJ マリナーは、217台のS1コンチネンタル フライングスパーを製作したが、そのうちの1台はベントレーのヘリテージコレクションの常設メンバーとして活躍している。

1959年、ベントレーのより強力なオールアルミ製V8エンジンの登場により、S1に代わってS2が発表された。同時に、HJ マリナーはベントレーモーターズに買収され、社内のビスポーク部門となった。当時世界最速の4ドア車として、工場出荷時から標準的な4ドアセダンボディが用意されたS2 コンチネンタルには、コーチビルドのHJマリナーフライングスパーボディや2ドアクーペ、ドロップヘッドバージョンも用意されている。

2308台のS2が製造されたうち、128台がコンチネンタル フライングスパーとして完成し、それぞれが豪華で高性能なモータースポーツの新時代を象徴するものとなり、究極のグランドツアラーへと変貌を遂げたのである。1962年から1965年にかけてS3バージョンが登場したが、再びマリナー・ボディのS3コンチネンタル フライングスパーが登場し、究極の4ドアラグジュアリーパフォーマンスを実現したのであった。



ベントレーは2005年、コンチネンタル フライングスパーの名を復活させ、コンチネンタル GTクーペの4ドアバージョンとして、その名の真の精神を受け継いでいる。この新しいモデルは、W12エンジンと全輪駆動で、最高時速194mph(312km/h)に達することができ、これまでにない方法で贅沢さとパフォーマンスを融合させた。

2013年、2代目フライングスパーが発売され、コンチネンタルの名を捨てて別のモデルラインとして登場した。その後の6年間、4.0リッターツインターボV8パワートレインの追加など、絶え間ない開発と改良のプログラムによって、生まれ変わっていった。

フライングスパーの第3世代モデルは、ベントレーの4ドアグランドツーリングの歴史に全く新しい章を開く。ベントレーは、2ドアのコンチネンタル GTをベースにしただけでは満足せず、全く新しいフライングスパーのデザインを一から作り直し、ラグジュアリー、洗練、パフォーマンスを究極に体現したモデルに仕上げているのだ。

オクタン日本版編集部

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