徹底的に一台の車を愛し、使い倒した一人のジェントルマンレーサー

Photography:Thomas Macabelli

この記事は『全開で人生を送ることをよしとした時代│車とレースに夢中になったある紳士の物語』の続きです。

タルガフローリオは、1963年5月5日にシチリア島の苛酷な公道コースでおこなわれたが、アルトゥノフらしく、レースへの行き来にもフラミニアを使った。ところが到着してみると、主催者に出走申請書が届いていないことが分かった。「あっという間に解決したよ。彼らは、ここにいるのはレースをやるためであって、出走を妨げるためじゃないといって、私たちをすぐに加えてくれたんだ」

このタルガフローリオには特筆すべきことがもうひとつある。アルトゥノフは、BBCのテレビクルーと一緒にいたスターリング・モスとホテルで出会ったのだ。フラミニアでは走ったことがないから運転させてほしいとモスに頼まれ、マエストロがシチリアの公道コースを飛ばすのを助手席で見る栄誉を得た。肝心のレースはどうだったのだろうか。

「順調に進んでいたが、私のスティントの最後の周に、44マイルのうちピットを通過して6マイルのところでガス欠してしまったんだ。急遽コース脇でボトル1本の燃料を足したけれど、充分ではなかった。下り坂ではエンジンを切らねばならず、大量の時間をロスしたよ。私たちは総合26 位でフィニッシュした。レース後にタイムをチェックしたら、ガス欠した周のロスがなければクラス優勝だったんだ」



典型的なジェントルマンレーサーらしく、アルトゥノフとコ・ドライバーは、シチリアからベルギーまで2500kmをフラミニアで移動し、翌週末のスパ500kmに出走すると、総合23位、クラス3位でフィニッシュした。次もフラミニアでドイツへ移動し、翌週末の5月19日にニュルブルクリンク1000kmに出走。ここでもクラス3位、総合33位でフィニッシュしたが、かなり重大な問題を抱えての完走だった。アルトゥノフはこう話す。「スパを発つとき、ブレーキフルードが少なかった。おそらくパッドも相当磨り減っていたはずだが、私はそれをチェックせずに、修理工場にブレーキフルードの補充だけを頼んだ。ところが使われたフルードは缶の口が開いていて、ベルギーの雨の多い時季に、外に続くドアの近くに置いてあったんだ。"リンク" では、数周でブレーキがなくなったよ」

編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo. ) Transcreation:Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.)  原文翻訳:木下 恵 Translation:Megumi KINOSHITA  Words:Massimo Delbò THANKS TO Edoardo Bonanomi of Automobile Tricolore

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