快適を売りにする車をラリー仕様に造り替えた!英国車ローバーとラリーの歴史

Photography:Tim Andrew


 
つまり1960年代の到来まではとりあえず理解されていたわけだ。やがて1960年代に入りイギリス社会はバブル期を迎える。ローバーも彼らのイメージチェンジを図るため、実験的に当時のヨーロピアン・ラリーチャンピオンシップ(後のWRC)への参戦を開始するのである。当時のサルーンタイプのラリーカーは、いわゆるプロダクションモデルにマップライトとコンパスを装備した程度のモデルばかりで、今のようなスペシャルステージ専用のスーパーマシンではなかった。たとえば1957年を例にとれば、最もトレンディであったのはたった1.5リッターの直列4気筒エンジンを搭載するボルグヴァルド・イザベラだった。

つまり、リライアビリティーこそ最も必要な要素であって、ローバーにとっても当時のP5には大きな期待が持てたというわけである。P5は強力な3リッターユニットを搭載していた。その期待は大きな結果となって現れた。1962年のリェージュ-ローマ-リエージュラリーではオーバーオールで 6位に入賞し、翌年のタフさが要求されるイーストアフリカン・サファリでは7位に入る活躍を見せたのである。


 
この当時ローバーはブランニューモデルを開発中であった。それがP6である。対外的にはローバー2000と呼ばれた。"P"は社内的にプラットフォームの頭文字であり、それがそのままコードネームとなっている。この車は2リッターのOHCエンジンを搭載し、クリーンなスタイリングのボディはシトロエンDS同様、パネルがモノコックにボルトオンされて、それ自体にストレスのかからない構造を持っていた。4輪ディスクブレーキ、リアはド・ディオン・アクスル、そして何よりも安全性に重点が置かれたなかなか革新的なモデルであった。1964年にデビューすると、その年初めて制定されたヨーロッパカーオブザイヤーを獲得。そしてワークスラリー活動を開始するのである。手始めはアルペンラリーであった。

ローバーのフィロソフィーに従い、P6のラリーカーは常にユーザーが手に入れることにできる、"ボックスストック"のランニングギアを採用していた。エンジンパワーは90bhp、もちろん参戦するための若干のモディファイはされていた。そして後に誕生するツインキャブの2000TC用シリンダーヘッドのおかげで、エクストラの25bhpを得ていた。ライバルはボルボ・アマゾン、あるいはメルセデス220などで、これらのモデルとローバーは熾烈な争いを演じていたのである。
 
結果はすこぶる好調であった。最初のラリーでは2台のスーパーマシン、ポルシェ904GTS に続く3位。そして1965年のモンテカルロでは、若きロジャー・クラークとジム・ポーター組の1台が、総合6位でフィニッシュした。このラリーは237台がエントリーする中、完走したのは僅か22台という過酷なものであった。さらに同じ年のアルペンラリーでは、アンドリュー・コーワンが2000TCのプロトタイプをドライブし、アルファTZ、ビッグヒーレーに続くGTクラスの3位を獲得した。


モンテカルロラリーに4台を導入・・・次回へ続く

編集翻訳:中村孝仁 Transcreation:Takahito NAKAMURA Words:Dale Drinnon Photography:Tim Andrew

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