ワークスカーだった一台をフルレストア│歴史的価値のある車に現代流の改造を加える

この記事は『快適を売りにする車をラリー仕様に造り替えた!英国車ローバーとラリーの歴史』の続きです。

1966年のモンテカルロラリー。ローバーチームはかなり行けると感じていたのだろう。何しろ4台の歴戦で鍛え上げたマシンとドライバーたちがいたからである。ただ、その"行ける" は少し期待を膨らませすぎたようだ。4台のうち3台はクラッシュし、唯一残ったジェフ・マッブスの車が総合10位に入るにとどまったからである。もちろん前述したうにトップ3でフィニッシュした3台のミニはすべて失格。さらに4位のコルティナ、そして最上位に入った女性ドライバーに贈られる"クープ・デ・ダム" を獲得したヒルマン・インプも失格の憂き目にあった。だから繰り上がりの10位であった。

イギリス車を狙い撃ちにしたようなこの政治的動きに対し、ローバーのマネージメントは即刻モータースポーツからの撤退を促した。オフィシャルに発表されたステートメントでは再度の復帰をほのめかしていたが、その目論見も彼らの手からは離れていった。つまり、オリジナルのローバー・カンパニーリミテッドのコントロール下で、彼らがラリーに復帰することはなかったのである。


 
ただし、ローバーがその後ラリーに出場した車を使わなかったわけではない。リチャード・ソーンがオファーしたJXC8Cのライセンスプレートをつけた車は、ラリーを経験したあとモンテカルロでクラッシュした部分を修復。その後すぐにテストカーとしてとして使用され、1973年に2000に変わって誕生する2200及び2200TCの開発のため、30万マイルを走行したと報告されている。

1978年、この車はかつてのワークスドライバーだったアンネ・ホールに売却された。彼女はルーツやフォードのワークスドライバーも努め1961年のサファリではフォード・ゼファーをドライブして驚異の3位入賞を果たし、また、66年のモンテカルロは3台クラッシュしたローバーの1台をドライブしていたという経歴があった。ホール女史はこの車を6年にわたって所有し、しばしば日常の足としていたそうだ。

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