当時は誰も考えていなかった!ポルシェ911 でデイトナ24時間への挑戦

Porsche AG



レースに出ずに、そのまま家に帰るか?ライアンがそんな命令を受け入れるわけがなかった。「これは私の車だ。私自身が参戦したんだ」とライアンは主張。ライアンは合法的に車を手に入れ、規定に基づいてレーシングカーを製作、そして正式な手続きを経てエントリーを行い、デイトナの主催者も彼のエントリーを受理している。誰も彼の挑戦を止めることはできなかったのである。

ライアンが組み上げた911の最高出力はわずか130ps。安定した走行を続けることだけが、上位に入り込む作戦だった。1966年2月5日午後3時、39番グリッドからスタートを切る。けして速くはないが、着実にラップを重ねていく。大きなトラブルにも見舞われることなく、3名のドライバーは6.132kmのトラックをひたすら走り続けた。



午後6時の段階でカーナンバー18の911は、総合33位についた。その3時間後には25位、翌日の午前8時には19位まで順位を上げていた。しかも、この時点で2.0リッターGTクラスのトップになっていたのだ。彼らの走りに心を打たれたフォン・ハンシュタインは、もし彼らにトラブルが発生したときには、ポルシェのファクトリーメカニックがサポートすると約束した。



しかし、助けを必要とすることはなく、正確な時計のようにラップを刻み、ルーティンの燃料補給、ドライバー交代、そしてタイヤ交換を繰り返していった。その後もトラブルはなく、24時間で548周を走行してフィニッシュ。総合16位、2リッターGTクラスで見事トップの座を獲得したのである。

そして、ワークス・ポルシェが手がけた906もクラス優勝を達成。優勝候補のフォード GT40やフェラーリ365P2に続いて、総合6位にもなっている。ライアンは、その後セブリング12時間で再び911をドライブ。ピストントラブルが発生しながらも、クラス2位を得ている。その後、この911は数人のオーナーに所有され、様々なレースに参戦した。最後のオーナーとなったオハイオ在住のクリスチャン・ツーゲルが手に入れた後は、約40年間自家用車として使われている。

そして、ポルシェのモータースポーツの貴重な歴史を刻んだ黒いこの911は、オリジナルのエンジンとトランスミッションを搭載した状態で、ネイプルズの「コリアー・コレクション」に寄贈されたのであった。

オクタン日本版編集部

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