消え去った「デ・トマゾの亡霊」モデナに残されていた遺産とその歴史を辿る

Diego Poluzzi



そして、悲しいことにすっかりと忘れ去られているのが、デ・トマゾを代表するモデル、パンテーラの生誕50周年だ。このパンテーラこそが、北米を中心とした世界市場に向けて作られたモデナ初の戦略モデルであり、量産スポーツカーであった。しかし、パンテーラの存在はプロジェクトのオーナーであるフォードとアレッサンドロとのトラブルの為、フォードの歴史からは抹消されてしまった。また、デ・トマゾ・ブランドも長く水面下に潜ったままであった為もあり、パンテーラの意義は語り継がれていないし、正当な評価もされていない。これはモデナの、いや世界のスポーツカー史を語るうえで、もったいないことだ。悲しいかな、誰もパンテーラについて一人称で語る立場の人物がいない・・・。(現マネージメントもデ・トマゾ・ファミリーと接触がないので、それも及び腰だ)。

デ・トマゾ・パンテーラ


実はパンテーラのデビュー年に関しては、1)ニューヨーク・モーターショーにて生産モデルがデビューした1970年 2)北米でデリバリーが開始された1971年、という二つの説がある。つまり生誕50周年は今年か、来年か?なのだ。

そういう時にはデ・トマゾ・ファミリーの窓口であるサンティアゴ・デ・トマゾに訊ねるのが一番だ。「良い質問だ。ニューヨーク・モーターショーで展示されたのは生産モデルそのものだから、デ・トマゾ家として生誕50周年は今年2020年で決まりだ」とサンティアゴ。

さらに新生デ・トマゾ社のウェブサイト上でもパンテーラは1970年からとなっているから、1970年説を採るのが妥当であろう。早速、筆者は世界のデ・トマゾ仲間達ともその話題で盛り上がったが、本音をいえば、今年であろうが、来年であろうが、興味深い車にスポットが当たるのは多ければ多いほどよい。 

パンテーラの製造ライン


ちなみに先日、モデナを訪れた際にサンティアゴとそんな話をしたのも、デ・トマゾ・ファミリーの所有するホテル・カナルグランデにおいてだった。コロナ禍とは関係なくデ・トマゾ・ファミリーの所有するこの伝統あるホテルも数年前に名前が変わっている。正確には「Phi ホテル・カナルグランデ」と称す。マネージメントをカナダ系資本に任せたのだ。サンティアゴにいわせれば「車と同じようにある程度の規模のホテルも、独立資本で運営するのは難しい時代となった。だから運営をチェーンに任せた」ということだ。

かつて、パンテーラを年間2000台売り切って、モデナNo.1の量産スポーツカーメーカーとなったデ・トマゾであるが、フェラーリもランボルギーニも皆、今や年間10000台以上売らねばビジネスとして成立しない時代となった。そんななか、長年亡霊のように存在していたデ・トマゾ本社跡が更地に戻されたというのも、モデナを愛する者として感慨深い。いったいモデナの未来は明るいのだろうか、それとも・・・。


文:越湖信一

文:越湖信一

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