ナカムラエンジニアリング物語 第2章│もう一台のテスタロッサとの運命の出会い

第1章では、"街のガイシャ整備工場のオヤジ"だったナカムラが、フェラーリメインでやっていこうと決意し、赤い新車のテスタロッサを手にした。それから7年。運命の車との出会いを経て、ガレーヂが次第に赤く染まりはじめたのだ。

将来はフェラーリ一本で勝負したい。ドイツ車のスペシャリストだと謳われてきたそれまでの雑誌広告もフェラーリ色の濃いスタイルに変えた。それを見てやってきた最初の客のことをナカムラはよく覚えている。512TR のオーナーだった。ガスケットを交換した。もちろんそれ以前にもフェラーリの入庫はあったけれども、決意してから初めての客にナカムラは喜んだ。
 
とはいえ整備屋のいち主(あるじ)がフェラーリ専門になりたいと決意したところで、いきなりファクトリーが真っ赤になるほど跳ね馬の世間は甘くない。有名誌でフェラーリ専門を謳い続けても、跳ね馬の入庫は月に一台あるかないか。当然、フェラーリだけでは従業員はおろか自分自身も食ってはいけない。幸いガイシャに乗る馴染みの客が以前と変わらず付き合ってくれていた。





33歳で一大決心をし雑誌でヒトメボレしたテスタロッサの新車を探し当てて購入した中村一彦。新車ゆえもったいなくて乗れなかった。それでもアシ回りをクワンタムに変えて少し車高を下げ、ホイールも交換している。結局その後も中村はテスタロッサの距離を伸ばすことはなく現在に至っている。新車時のタイヤを筆者が撮影用に譲り受けたほど。

 
それでも入庫が減ったとみるや、ナカムラはタウンページ用に作った1ページ広告を何百枚とコピーして、自ら夜中にポスティングして回った。高級住宅街でガイシャの停まっているガレーヂを見つけては自家製チラシを撒いたのだ。ガソリンスタンドや中古車店にも頭を下げて回った。あるとき入庫してきたオペルのダッシュボードを開けると、ナカムラの撒いたチラシが入っていた。嬉しくて泣きそうになった。
 
ナカムラの評判は悪くなかった。他の店より高かったけれど、故障を確実に直す技術力には定評があった。壊れそうなところを予防までしてくれるから客からの信頼も厚く、紹介も多く入った。
 
とはいえ、ただガイシャを扱う技術がいいというだけの評判と手前味噌な雑誌マーケティングだけでフェラーリの客が増えるわけじゃないことも重々分かっていた。ナカムラはフェラーリに対する自分の技を磨き続けなければならないとも思っていた。

フェラーリ専門のファクトリーを目指す。

そう決意すると同時に新車のテスタロッサ買った33歳のナカムラは、自分のワザをフェラーリ専用に磨き上げるために、もう一台のテスタロッサを手に入れることになる。新車のテスタロッサはあまりにもったいなくてそれ以上距離を増やせないという思いもあった(結局、ナカムラのもったいない病は今もまるで完治していない)。



まずは自分自身がフェラーリの隅々まで感じてみたい。新車のテスタロッサでは飽き足らず、今度は逆にぼろぼろになってしまったテスタロッサを手に入れた。それは日本1号車のケーニッヒだった。題材としてはこれ以上なかった。車をバラすことからスタッフの協力を得つつ基本は中村ひとりでおこなった。一から勉強する素晴らしい機会だった。

 
その個体はヤフオクに出品されていた。ケーニッヒ・テスタロッサだった。これがナカムラとケーニッヒの運命の出会いとなった。オーナーは女性で、海外出張が多い人だったという。
 
出張のたびに愛車のケーニッヒをメンテナンスに出してはできるだけ完調な状態で楽しもうとしていた。けれどもどこへ修理に出しても毎回その費用は三ケタ万円台に及んでしまう。あまりの金食い虫ぶりに辟易していたところ、とても安くあがるという北関東のショップを紹介され、いちど預けてみることになったらしい。

文:西川 淳 Words:Jun NISHIKAWA

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