「1kgの軽量化を達成したら、1本のシャンパンを奢る」その言葉の意味とは

Porsche AG

レーシングドライバーのジェラール・ジル・マリー・アルマン・ラルースは、1940年に父親が経営する繊維工場があるフランス・リヨンで誕生した。

「若い時からモーターバイクやスポーツカーが大好きでした。しかし、家族は後を継いでほしかったようです。父にとって車はただの移動手段でしたからね」と笑いながら話す。

パリで商業学校に通っていた21歳のとき、初めてフランス国内のラリーに参戦した。学校を卒業し兵役を終えたラルースは、26歳のときにモータースポーツの世界で生きていくことを心に決めたのだ。「最初にワークスドライバーとして参戦したのはフランスNSUでした。その後、アルピーヌに移籍して2シーズン走りました」

1968年には、アルピーヌのワークスドライバーとしてラリー・モンテカルロでアルピーヌ A110 1300Gを駆り、ポルシェワークスから参戦するヴィック・エルフォードと競い合った。しかし、観客が投げ入れた雪によってマシンコントロールを失い、順位をおとしてしまう。それでも彼の圧倒的なスピードは大きなインパクトを残した。そして、ライバルであったエルフォードの推薦によって1968年11月、ラルースはポルシェワークスに加わった。



1969年シーズンの開幕戦、ラリー・モンテカルロでラルースはチームメイトのビヨルン・ワルデガルドに続く2位を獲得した。そのシーズンのネージュ・ド・グラスラリーとツール・ド・コルス、さらにツール・ド・フランスでは勝利を飾っている。「ツール・ド・フランスは8日間にわたって開催されました。ラリーとヒルクライムを組み合わせた過酷なイベントで、両方のカテゴリーにおいて速さを要求されました。どちらも速いドライバーはほとんどいなかったですが、エルフォードだけは特別でした」



彼はポルシェ911でラリーやヒルクライムに参加しながら、サーキットでも活躍していた。ル・マン24時間では、1969年、1970年と2年連続で2位に輝いている。1969年はハンス・ヘルマンとのコンビでポルシェ908LH クーペを駆っている。1970年は、ウィリー・カウセンとのコンビでポルシェ917Lをドライブ。同年のツール・ド・フランスでは、ヒッピーをイメージしたイエローとレッドをまとった911S 2.4を駆って、3位を獲得している。「ツール・ド・フランスで私が運転した911Sは、ファクトリーから出荷されたなかでも一番軽かったでしょう。たった789kgでしたから」。当時の911Sの公式重量は800kgだったのだが、ラルースはメカニックに「1kgの軽量化を達成したら、1本のシャンパンを奢る」と交渉し、この軽量化を実現したというのだ。



1973年と1974年はフランス人のアンリ・ペスカローロとのコンビで、マトラ シムカを用いて念願のル・マン24時間において優勝を果たしている。そしてドライバー引退後は、ルノー・レーシングチームの監督として活躍した。1987年には、ディディエ・カルメルと独立系F1チーム「チーム・ラルース・カルメル」を結成する。カルメルのチーム離脱後も、1991年までチーム・ラルースとしてGPへ参戦した。

現在でも、乗り物を愛する情熱は決して衰えておらず、様々なヒストリックカーイベントにも参加を続けている。

オクタン日本版編集部

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