悪党を捕まえるのに必要なものはフェラーリ ?! パトカーだった一台の物語

Photography:Tom Gidden

イタリア警察は、凶悪犯罪集団を追い詰めるため、フェラーリ250GTEをポリスカーに採用したことがあった。マッシモ・デルボがフェラーリによる武勇伝を明らかにする。

1960年代前半のイタリアといえば、真っ先に思い浮かぶのが映画『ラ・ドルチェ・ヴィータ”(甘い生活)』だろう。第二次世界大戦を経て前例のない経済発展のなか、最高の状態で生きる喜びを表現した映画だった。マルチェロ・マストロヤンニがトライアンフTR3でローマのトレビの泉からアニタ・エクバーグを救出し、ローマ有数の名門レストランやクラブでパパラッチに追いかけられるシーンは印象的だった。その頃、すでに世界で最も裕福な人々のステータスシンボルとなっていたフェラーリGTは、贅沢なライフスタイルと果てしないパーティーというイメージを完璧に体現していた。だが、1962年型フェラーリ250GTE 2+2シリーズⅡ、シャシーナンバー3999の役目は犯罪者を追うことであった。


 
急成長する経済の中で、窃盗犯や密輸業者も経済成長の恩恵の一部…、もしくはすべてを手中に収めたがっていた。それゆえに、警察と犯罪者は対立し、両者の激突は公道でのカーチェイスへとつながった。
 
当時イタリア警察にはシチリア島で1927年に生まれた、アルマンド・スパタフォーラがいた。もともと車好きで、運転技術にも長けていた彼がイタリア警察に属したのは1950年のことだった。すぐに才能を買われたスパタフォーラは"スクアドラ・モビリ"という部隊に抜擢され、アルファロメオ1900のステアリングを握ることになった。これはロンドンの"フライング・スクワッド"同様、犯罪現場にいち早く駆けつける部隊で、時にはカーチェイスの応援にも応じて召集された。スクアドラ・モビリのアルファロメオはレッドゾーンまで回され、咆哮を響かせ、光沢のある黒いボディカラーとあまって"パンサー"の愛称で呼ばれた。やがて、パンサーがオフィシャル・ロゴとして採用されることになった。

スパタフォーラは刑事としても非常に優秀で、逃走中の犯人を数多く逮捕した。ローマの新聞の犯罪ニュース欄には彼の名前がしばしば登場し、ウーゴ・マチェーラを含むスクアドラ・モビリの上司たちからは可愛がられたばかりか、犯罪者からさえ畏敬の念を抱かれたほどだった。
 
1960年からイタリア警察の長官の座にあったのは、シチリア生まれのアンジェロ・ヴィカーリだった。1962年の秋、ヴィカーリはローマ警察のスクアドラ・モビリのオフィスを訪ねた。ヴィカーリは整列した隊員を前に中庭で訓示したのち、「もっと犯罪者を捕まえるには何が必要か」と、尋ねた。


編集翻訳:古賀貴司(自動車王国)  Transcreation:Takashi KOGA (carkingdom) Words:Massimo Delbò Photography:Tom Gidden 取材協力:Girardo(girardo.com )

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