三日間でおよそ1000kmの旅へ!「トロフェオ・タツィオ・ヌボラーリ北海道ステージ」

Photography:Asuka IGARASHI

見えない敵に怯える日々が続いている。けれども、車好きはやっぱりぢっとはしてられない。車はそもそもパーソナルな移動手段のはず。コロナ禍でその有用性が改めて証明されたとも言える。
 
趣味の世界でもそうだ。感染防止対策さえ徹底しておけば、ドライブを楽しむこと自体、なんら問題はない(交通事故などを想定すれば動けない、などということは、そもそも不確確実性のある社会生活を拒否するということでもあるので、ここでは深く論じない)。
 
ギャザリングイベントやドライブラリーも徐々にではあるけれども、催され始めている。良いことだと思う。それでも出たくないという人があって当然だし、その反対に、それでも出たいという人がいてもいいじゃないか。同調圧力はご免蒙りたい。
 
勇気を持って、そして万全の準備をもってイベント開催を決意した日本中のさまざまな主催者にまずは賛辞を送りたい。本当にありがとう。おかげさまで気持ちが前向きになりました。北海道で毎年7月に開催されるラリーイベント、「トロフェオ・タツィオ・ヌボラーリ北海道ステージ」もそのうちの一つだ。


 
いったんは10月に延期され、それでもコロナ禍が終息しそうにないとみるや、一時は主催者も開催を断念しかけたらしい。けれども毎年、このラリーを楽しみにしているエントラントから「ぜひ開催して欲しい」という声があがったのだそうだ。

写真でイベントの雰囲気を楽しむ

 
そして開催を決断された。本来なら今年は記念すべき20回大会となるはず、だったけれども、そこはちょっとトーンを落として便宜上、今年をプレ20回対会と位置づけ、来年夏に改めて20回目の記念大会を開催することに。ともあれ、何事も継続が大事ということで……。


 
政府のはじめた「Go To トラベル」キャンペーンとも重なって、夏以降、少しずつ人も動き始めた。今年のコースは、今年惜しくも亡くなった長年の参加者の生前からのたっての希望で人気の観光地である知床方面が予定されていたため、主催者もホテルの確保などにギリギリまで苦労されたことだろう。
 
エントラント台数は確かに少なくなってしまった。とはいえ、それでもラリーを楽しもうという熱い気持ちの人ばかりが集まった。もとより北海道タツィオは、伝説のドライバーの名を冠するにしてはいささか競技性が薄く、和気あいあいとしたラリーイベントだ。こじんまりした結果、いっそう濃密なイベントになったように思う。


 
三日間でおよそ1000kmを走るという今年はいつになく長丁場となったラリーそのものは、千歳空港そばのトランスウェブ北海道営業所から始まった。今年はアルファロメオの110周年でもある。ゼロ号車のジュリア・クワドリフォリオが先陣を切って出立する。続いて戦前のマシンが2台続く。筆者はアルファロメオのデュエットスパイダーで走り始めた。




 
とにかく北海道の道は走りよい。走り良過ぎて、ときに退屈になるほどだ。それゆえ初日の前半はナビなしでも何とか走れた。途中から若い写真家のアスカ君がシューティングしながらナビを務めてくれる。助かった!ひとりきりの北海道ドライブなんて、やっぱりつまらない。
 
とにかく走りに走った。スパイダーの調子もばっちりだ。季節のいい(といっても限られているけれど)北海道ほどオープンエアモータリングの似合う場所はない。何も出来なくて辛かった今年だけに、ふたたびこうして北海道を走れたことに、ただただ感謝しながらのドライブ。流れる景色がいちいち、愛おしい。


 
今年は千歳からひどく離れた道東開催ということもあって、三日間のラリー中は同じ施設に連泊するという方法に。筆者はこのシステムが大好きで、なぜなら毎晩荷造りしなくてすむから。なんならずっとこの方法で開催して欲しい。宿泊先は阿寒湖の高級旅館、「あかん遊久の里 鶴雅」だった。
 
2日目はハイライトの知床半島ドライブだ。ところが羅臼に付き、漁港でランチを終えてこれから知床峠を渡ろうというときになって、天気が崩れた。峠はあいにくの濃霧。前を走るナローポルシェのテールランプだけを頼りにスパイダーを攻め立てる。


 
峠を越えてウトロに着いてみれば、こんどは快晴に。一直線に伸びた「天に続く道」も満喫する。もっとも阿寒湖に近づくにつれて再び天気が崩れ、宿に到着するまでルーフを開けることは叶わなかった。


 
3日目。江別のゴールを目指してひた走る。TSUTAYAではその日、アルファロメオのミーティングも行なわれていた。ゴールでは親しい車好きたちが出迎えに集まっていてくれた。車を通じて知り合った連中は、やっぱり何物にも代え難い。


 
コロナで苦しんだ一年だったからこそ、約1000kmのラリーを無事に走り通せたことがまた、明日への糧となる気がしたのだった。

文:西川淳 写真:五十嵐飛鳥 

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