「イタリアの無冠の王」と称された男に捧げられた特別なフェラーリ・テスタロッサ

Photography:Christian Martin for Artcurial



1921年にフィアット創業者であるジョバンニ・アニエッリの孫としてトリノ近郊で生まれたジャンニは、イタリアの全株式の1/3を占める企業グループを受け継ぐ立場にあった。1945年にジョバンニが亡くなると、ヴィットリオ・ヴァレッタがフィアット会長に就任したが、ジャンニは彼の右腕として経験を積み、そして1966年にヴァレッタが引退すると予定通りにその座を引き継いだ、フィアットがフェラーリを傘下に収めたのはその3年後のことである。
 
アニエッリは創業間もないころからエンツォの顧客であり、1950年には2トーンの166MMトゥーリング・バルケッタを購入したという。彼はまた、側面に薄いブルーのストライプが入ったシルバーのピニンファリーナ・ボディの400スーパーアメリカ・クーペ・スペチアーレを所有していたが、そのカラートリムはこのテスタロッサにも再現されている。
 
アニエッリのスパイダーの製作は1986年2月27日に始まり、それから4カ月足らずの6月16日に納車されたという。イタリアでは個人的なナンバーを取得することはできないはずなのだが、そんなことはどこ吹く風というように、この車には「TO 00000G」というトリノ登録のナンバープレートが付いている。



スパイダーの周りを歩きながらじっくりと眺めると、シルバーとブルーのボディカラーよりもさらに魅力的な多くのディテールを見つけることができる。たとえば、ドアミラーは一般的な"ドッピオ・スペッキオ"(ダブルミラー)タイプではなく、代わりに初期型でより大型の"モノ・スペッキオ"(シングルミラー=初期型テスタロッサではドライバー側のミラーだけがAピラーの高い位置に取り付けられていた)が左右の特製マウントに装着されている。そのすぐ後ろの、いわゆる三角窓にピニンファリーナのロゴが刻まれているのもこのスパイダーだけの特徴だ。
 
ウィンドシールドのフレームの高さは40mm低められている。当然ウィンドスクリーン自体も明らかに小さく、フレームの上端部には控えめなウィンドーストリップが装着されており、風の巻き込みを抑えるとともに、申し訳程度のソフトトップを固定するヒンジにもなっている。フードは黒いロールフープで支えられるが、それはセンターコンソールのスイッチで持ち上げることができる。リアデッキはとりわけ入念に設計されたことがうかがえる。

編集翻訳:高平高輝 Transcreation:Koki TAKAHIRA Words:James Page Photography:Christian Martin for Artcurial

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