「ジェームズ・ボンドのように」ロータス・エスプリをダンスさせながら

Photography:Justin Leighton

この記事は『ジェームズ・ボンドを探して・・・ロータス・エスプリで出かける冒険』の続きです。

さて、この先どんな道が待っているのか。嬉しいことに、これぞ数百マイル走ってやってくるのに相応しいセクションだった。まるでエスプリのために作られたような道が何マイルも続き、ここで私はロータスを思いっきり"ダンス"させた。しかも、路面のグリップが恐ろしく高いためにアンダーステアやオーバーステアが顔を出すことはなく、私は安心してドライビングを楽しむことができた。

コルティナにアプローチする最終セクションは、ミンターとマクラクランが辿ったルートとは大きく異なっていた。ヘゼルに戻った後でドン・マクラクランが記した内部資料が残っているので、その抜粋をここで紹介しよう。

「私たちが給油と休憩のために車を停めたのはわずかに2回だけだったが、ドロミテに続く高速道路はちょうど暗闇に包まれようとしているところだった。急に気温が下がり、雪が降り始める。路面は完全に凍結しており、すでに何時間もハードなドライビングを続けてきた私たちは大きくペースを落とすことにした。ここで道路の様相は一変し、暗く凍ったヘアピン・カーブが100マイルにわたって続くワインディングロードが目の前に現れた。私たちは午後8時にコルティナに到着し、撮影部隊と合流。幸運にも時間どおり。しかも車も無事だった」

私たちがコルティナに着いたのは午後の遅い時間帯。そこで給油し終わったときに気づいたのは、ここが街でいちばん"値がはる"ガソリンスタンドだったことである。なにしろ1リッターが1.82ユーロ(約227円)もしたのだ。



続いて私たちは、今晩の宿であるミラモンティ・マジェスティック・グランド・ホテルへの道順を探すことになった。1981年に『ユア・アイズ・オンリー』が撮影されたときにも、ジェームズ・ボンドとフィルムクルーはこのホテルに泊まっていたのだ。

編集翻訳:大谷達也 Transcreation:Tatsuya OTANI Words:Harry Metcalfe Photography:Justin Leighton

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