ひときわユニーク!人知れず魅力的なアバルトの初期作品

Photography:Dirk de Jager


 
第二次大戦後の1945年9月、カルロは正式にイタリアの市民権を得たが、無職であった。そんな折、以前より親交のあった、ウィーンのフェルディナント・ポルシェ名誉工学博士合資会社のエンジニア、ルドルフ・フシュカと再会した。当時、フシュカはポルシェ事務所がチシタリア社から請け負ったF1プロジェクトを実現させるため、オブザーバーとしてトリノで製作指揮に当たっていた。カルロは、フシュカの推薦を受けて、チシタリア社でF1プロジェクトにエンジニア兼テストドライバー、スポーツディレクターとしての職を得た。だが、間もなくチシタリアは資金難のため倒産。カルロは製作途中だった自身設計の6台のスポーカーを退職金として受け取った。
 
幸運なことに、チシタリアの裕福なワークスドライバー、グイド・スカリアーニの父親がカルロの技術力と経営力、人望に惚れ込み、援助を申し出、1949年4月、チシタリアの人員と設備を引き継ぎ、トリノのトレカート通り10番地にアバルト&Co.を設立した。これが、"サソリ"・ブランドの始まりだった。
 
アバルト社は1950年、チシタリア・レーシングを引き継いでアバルトを名乗り、タツィオ・ヌヴォラーリらのトップドライバーを擁して、最強の体制で勝利の記録を伸ばし続けた。レース資金を得るため、フィアット製市販車のためのアクセサリーや、得意とするマフラーなどのパフォーマンスパーツを開発し、これらを看板商品に据えた。当時、トリノが自動車産業界における情報発信地となりつつあった絶妙のタイミングで、周辺にはコーチビルダー、スタイリスト、機械関係会社などが多く存在し、国外の自動車メーカーからも、専門性を備えたこの地に注目が集まっていた。
 
カルロの優れたビジネスセンスによってアバルトは大きな利益を得て、1953年の4月、第35回トリノ・ショーのオープニングで、ショーの7週間前に発表されたばかりの新型フィアット1100/1200をベースとするショーカーを発表し、世界を驚かせた。


 
1100ccシリーズは、1937年の初登場以来、改良を重ねながら1969年まで継続されたフィアットの主要製品であった。またそれは、トリノ中のコーチビルダーが製作していた、ワンオフのスペシャルや限定生産車のベースとしても重宝されていた。トリノ・ショーに先立つ1953年3月のジュネーヴ・ショーで発表された新しい1100/1200は、開発コードからティーポ103と呼ばれる後期型であり、初代モデルに取って代わるものだった。特にダンテ・ジアコーザがデザインしたボディは、フィアットの15年におよぶ技術的発達を象徴していた。すなわちそれは1950年の1400シリーズで採用した、フィアット初のモノコック構造が用いられていた。

1089ccエンジンは基本的に同一で出力が僅かに向上した程
度だったが、フロントサスペンションはダブルウィッシュボーンに改められたほか、4段トランスミッションも刷新されていた。発売と同時にヒットし、コーチビルダー達はこぞって、このエンジンとランニングギアをベースに、車を作ろうと"大騒ぎ"となった。


ボディデザインをカロッツェリア・ギアに委ねる・・・次回へ続く

編集翻訳:小石原耕作(Ursus Page Makers )  Transcreation:Kosaku KOISHIHARA(Ursus Page Makers ) Words:Massimo Delbò Photography:Dirk de Jager

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