ル・マン クラシックに初めて参戦した日本人ドライバーにインタビュー


 
鈴木さんは2002年から今の店をはじめた。まだ30代半ばのときである。凝ったインテリアはセンスあふれるデザイナーに依頼したもので、今でもほとんど手直しする必要がない。ショールームには魅せるべき車のみ展示することにして、顧客がゆったりとくつろげるスペースを大切にしたという。鈴木さんは開店時に並べた車を今でも明確に覚えている。

「英国車やレーシングモデルが好きなので、ロータス51 というフォーミュラーフォードとアバルト1000SPをメインに置きました。ロータスエランS4 スプリントはその横に。1000SPは大阪のデルタ丸山さんからお借りしました。色々な方とお知り合いになれる恵まれた環境に感謝していました」
 
そして鈴木さんは開業したその年に、第1回ル・マン クラシックに参戦している。もちろん日本人としては初めての参加である。「日本人として最初のエントリーは私と、丸山さんの息子である光太郎さんの二人だけでした。彼とは2002年に続き2004年も一緒に参戦しています。ル・マン24時間は私たちにとって最高峰のレースなんですよ。そのクラシック版の開催となると、もう"宿命"のようなものを感じて、出ないわけにはいかないと思いましたね。モナコの場合はフォーミュラマシンがなければ無理ですが、ル・マンはスポーツカーさえあれば出られるじゃないか!と。だから開催の情報を入手したときは、どんな手段を使ってでも、絶対に参加するぞと考えていました」


 
鈴木さんはそれまでもツインリンクもてぎや富士スピードウェイで走り込んではいたが、ル・マン参戦となると"まるで、おのぼりさん状態(本人談)"だったという。参加した車は1965年オースティンヒーレー・スプライト ル・マン。このマシンは1965年にゼッケン49で本物のル・マン24時間に参戦していた。ドライバーはあのジョン・ローズである。

「オープニングでは、私の目の前にデビット・パイパーがいきなり立っていて、『どうだ、緊張しているか?』と声を掛けてきました。デビット・パイパーは1965年のル・マンにフェラーリ330LMで出走しているので、私のところに来て『俺は当時この車を20回くらい抜いたぞ?今日もたくさん抜いてやるからな』と脅すようなジョークを掛けてくるわけですよ。ジョン・ローズさんにも会えたし、あの頃はスタードライバーも結構出走していたので、もう気分は最高でした!」
 
オースティンヒーレー・スプライト ル・マンはUKでメンテナンスを行ったが、ほぼぶっつけ本番のレースとなった。慣れていないとはいえ中身は"カニ目"である。ファイナルがハイギアードになっているくらいで、運転自体は鈴木さんたちにとってそう難しいものではない。だがユノディエールの長いストレートで真後ろにデイトナコブラがスリップストリームに入ったりすると、テールが浮き始めてそれは恐ろしい気分になった。



「もう少し速いマシンが必要だ」。それが2004年にローラを導入した理由である。ローラ GTはGT40の手本になったともいわれており、UKに3台が存在した。1963年にリチャード・アトウッドとデイビッド・ホッブスが駆って戦っている。搭載されるフォード製4728cc V8も、鈴木さんのお気に入りのパワーユニットだ。すでに仕上がっていたローラ GTは申し分のない出来であった。レースでも他ライバルと伍す戦いぶりだったという。
 
ふたりは2002、2004の2戦以降、ル・マン クラシックには参加していない。1ラウンド40分×3回、昼夜関係なく予選があり、早朝4時に起こされることもあった。「もう十分、満喫しました(笑)」(鈴木さん)
 

無料メールマガジン登録   人気の記事や編集部おすすめ記事を配信         
登録することで、会員規約に同意したものとみなされます。

RECOMMENDEDおすすめの記事


RANKING人気の記事